sizefetish-jp2cn-translated-text / 1 New /[牧浦] 魔女とくちづけ [b5463788] JP.txt
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魔女とくちづけ
 知らないメールアドレスから、陽介の携帯電話にメールが届いたのは夏真っ盛りのある昼のことだった。送り主は、陽介がただずっとその後ろ姿を見つめるだけだった、片思いの女生徒、麻耶だった。
「放課後、校舎二階の空き教室に来て」
 メールにはたったそれだけが書かれていた。なぜ麻耶が自分のメールアドレスを知っているのか疑問だったし、まったく接点のなかったはずなのになぜ、といろいろ疑問はあったが、陽介は従わずにはいられなかった。
 後から考えれば、それらの謎はまったく考える価値のないことだった。だって彼女は、魔女だったのだから。
 *
 黒の通学鞄を片手に下げたまま、空き教室へと向かう。もともとは二年G組の教室として使われていたが、少子化の影響で生徒が足りなくなり、数年前から使われることがなくなったらしい。普段は鍵がかかっているはずのその部屋の引き戸は、そんな事実などなかったかのように滑らかに動き、陽介を迎え入れた。
 使われることのない机が黒板側に寄せられ、半分が逆さになってその上に積み上げられている。そのうちの机のひとつと、どこからか拝借してきた木の椅子で教室の後ろ側に用意した座席に、麻耶が座って陽介を待っていた。さらさらの黒いロングヘアに、こじんまりとしたその体型は、まるでお人形のように見えた。机には、彼女のものであろう通学鞄が腋に吊り下げられていた。
「来てくれたのね」
 麻耶はそこから動かず、ただアルカイックな笑みをたたえている。カーテンの隙間から差し込む西日に照らされたその笑顔は、どこか妖艶だった。
「え、ええ……来ましたよ」
 仮にも意中の女性とふたりきりという空間に緊張した陽介は、同学年のはずの麻耶相手に敬語で応えてしまう。握る拳には冷たい汗が生まれ、心臓は彼女に聞こえるのではないかというぐらい激しく高鳴っている。窓の外から聞こえる、校庭で特訓している陸上部の声が、遠い世界のものに思えた。
「ありがとね。ねえ、確認したいのだけど」
 ずりずりと音を立てながら、麻耶は椅子ごと陽介のほうへと向き、じっと彼の顔を見つめる。左の腕はぶらんと垂れ下がり、右手は机のうえに乗せられたままだ。
「陽介くんは、私のこと、好き?」
「えっ!」
 心臓を射ぬくような言葉に、陽介は持ちっぱなしだった鞄を取り落とした。流れる汗の量が増える。陽介は見つめ合いながら喋ることに耐えられなくなり、足元のフローリングの木目と麻耶の足の間で視線を往復させていた。麻耶は、陽介のものと同じ下履き用の白底のスニーカーを履いている。黒いドット柄のハイソックスとコントラストを形成していた。
「ああ、うん、好き……だよ。一目惚れでした」
 期待が半分、不安と恐れが半分といった状態で、彼は正直に言う。どこまで見透かしているというのだろう、彼女は。
「ふうん……つまりそれって、私とお付き合いしたいってことでいいのかな?」
「そ、そりゃもちろん」
「『ずっと』?」
 垂れ下がった麻耶の左手指が、くねくねと奇妙に動いている。まぐわりを連想させるような淫猥な動きにも見えた。
「あ、ああ……『ずっと』さ!」
 陽介は足元にへたりこんでいた鞄を足で押しやりながら、麻耶と視線を合わせ小さく叫ぶ。麻耶は一瞬だけ月のように唇の形を鋭くし、下唇を舐めた。
「そう。ありがとう。『ずっと』ね」
 麻耶は立ち上がり、興奮状態の陽介へと一メートルほどの距離まで近づく。依然として左手はいやらしくうごめいていた。陽射しが作り出す麻耶の影が、陽介の足元まで伸びている。
「でも、陽介くん大柄でちょっと怖いのよね。お付き合いするには。だから――」
 そう言うと、左手の動きがぴたりと止まった。その時、教室全体が幾筋もの赤い光で電子回路のようにイルミネーションされるのを陽介は見た。天井を壁を床を走る真紅の光条は、ある一点を目指していた――陽介の足元へと!
「小さくなってもらおうかな」
 光条が陽介へと収束した瞬間、陽介の視界は真っ白になり、何も見えなくなる。
 *
 ごおお、ごおお、と風が荒れ狂う音が、どこかでしていた。
 瞬間移動、もしくは意識を失っている間にどこかへ運ばれ、放置された経験のある人間は稀だろう。もちろん陽介にもなかった。
 暗い。彼が最初に思ったのはそれだった。それに埃っぽい。先ほどまで会話をしていた麻耶の姿はどこにも見えない。狐につままれたような顔で、目をぱちくりさせているとぼやけていた視界がだんだん明瞭になってくる。
 陽介のいる場所のあたり一面には、薄茶色の地面が地平線まで続いていた。果てには真っ白な空が見える。木の床のようにも見えるが、ワックスで加工されていることが靴の裏の感触からうかがえた。そしてどうやら、自分は何か巨大なオブジェの影に包まれているらしいことに陽介は気付いた。どうりで暗いはずである。
 その影は、陽介から五十メートルほど離れた距離から発生していた。埃で薄汚れた、フェリーのような白く、曲線だけでかたちどられた巨大な物体が二つ、数十メートルほどの間隔で存在していた。陽介に向けられた先端は丸みを帯びており、やや低くなっている。陽介の身長と同じくらいだろう。
 彼は、むかし社会科見学で訪れた倉庫街に立ち並んだ白い倉庫を想起する。それらと明らかに違うところはこの広大な空間に二つしかないところと、エナメルのような材質で加工された表面が光を反射していることだ。
 近づきながら観察している内に、その奇妙な白いオブジェが土台でしかないことに陽介は気づく。ふたつのオブジェの陽介から見て奥のほうから、しなやかな巨木を思わせる黒い物体が天高く生えている。ビルのように高く、首を上に向けて眺めていてもなかなか途切れることがない。
 ある高さで折れ曲がり、太みを増し角度を変えながらさらに天へと昇っていく。おそらく表面の材質は布だろう。垂れ幕状でもなく、ぺたぺたと貼り付けられているわけでもない。繊維が内側から押され外側へと引っ張られている。そのことから、見た目どおりに壮大で大質量なものを包んでいることが簡単に見て取れた。表面は黒一色だが、一定間隔で白い点があしらわれている――そう、ドット状の模様。
 ようやく陽介は気づく。空き教室で視線のやり場を失っていた時、ずっと眺めていたものとそっくりすぎると。陽介は尚早に駆られ走ってそれらに接近した。十メートルほどまで近づくと、その威圧感に圧倒される。オブジェを横から見ると、正面からでは角度の問題で見えなかった、粗縄のように太い紐がオブジェの上部を結んでいるのがわかる。
 より近くで観察して陽介は確信を得た――これは、麻耶の履いていた上靴とソックスだ。それも、船のように巨大で、ビルのように高い!
 気づけば、陽介は全身に汗をびっしょりとかきながら震えていた。両腕で胸を抱えて、無理やり恐怖を鎮めようとする。まだ彼には確かめなければいけないことがある。巨大な両足があるということは、それが支えているものがあるはずなのだ――!
 麻耶と対面していた時とはまったく別の理由で心臓を爆発させそうになりながら、上を見上げようとすると。
<陽介くん、どうしたの? そんなに私の足が気になるの?>
 ――とてつもない大音量が、陽介のいる空間に響いた。あまりにも低く重くはなっていたが、それが麻耶の声であると陽介にはすぐでわかった。スピーカーを何重にも通したかのような突然の大音声に、陽介は驚いて思わずへたりこみ、靴下の上に続いているものを見た。黒のハイソックスははるか上空で途中で途切れ、それとは対照的に白い膝裏と腿裏を露出させていた。ソックスという圧迫から解放された張りのいい麻耶の脚が膨らみを作り、圧倒的な質量を感じさせる。二つの肌色の塔が合流する地点は、テントの屋根のようなプリーツスカートの幕に光が遮られ、完全な暗黒となっていた。雄大な光景に、陽介はこれが一人の少女が作り出しているものだと実感できないでいた。
 麻耶の行動は終わっていない。陽介の両側で壁のようにそびえていた麻耶の上靴が、ずずず、と音を立てて遠ざかっていく。それと同時に、力強くまっすぐにそびえていた両足が折れ曲がり、漆黒の天井が徐々に降下してくる。みしみしぎちぎちという、繊維がきしんで悲鳴を上げる音が陽介の聴覚を占有する。巨大な物体が移動することによって起こる風が、陽介の前髪を巻き上げる。
 ――押しつぶされる?!
 陽介は慌てて麻耶の陰から脱出しようとする。だが、手足が恐怖で言うことを聞かない。麻耶の股間がどんどん迫ってくるのを、呆然と見あげることしか出来なかった。
 しかし、陽介がつぶされることはなかった。陽介から見て、二十メートルほどの高さで降下が止まる。単に屈みこんだだけのようだった。いままで光を遮っていたスカートのカーテンが折り曲げられた膝に押し上げられなくなったため、薄暗いながらも股間の様子が把握できた。
 淡い桃色の布がスクリーンのように股間を包んでいる。まるで手を伸ばせば触れられそうなほど近くに見えるのに、実際には陽介が何人も肩車しても届かない高さである。屈んだ体制になったことで生地が引っ張られ、ぴんとなっていた。
 暑さで汗で濡れたのか、素肌がわずかに透けていた。太ももとの境界線を飾るチュールレースが少女的で愛らしく、だがカーテンレースのように広大でもある。中心部分の股布がささやかに盛り上がり、そこに包まれているものを主張していた。
 ささやかにといっても下着全体と対比してのことであり、陽介にとっては全身をくるんでお釣りが来るほどのものだった。股部分の縫い目は、鷲掴みできるほどに太く見える。
 頭上に屈みこんだ同級生のショーツがあるという、これ以上もなく卑猥な光景を陽介は卑猥と感じられなかった。そんな精神的な余裕はどこにもなかった。そこに再び麻耶の声が響く。
<早くそこから出てきてよ。うっかり足を動かして、蹴っ飛ばしたり踏みつぶしたくないんだから>
 踏みつぶす。麻耶の口から発せられるのはあまりに現実感の無い言葉だった。
「う、うぁああー!」
 大声を上げると、ようやく手足が動くようになった。まだ震えている身体を叱咤し、這うようにして元来た方へと戻っていく。
 数分かけて麻耶の陰から脱出すると、陽介はまたぎょっとする。大気の幕に阻まれ薄くぼやけた麻耶の巨大な顔が、屈んだ姿勢で陽介の必死な姿をじっとのぞき込んでいたからだ。はるか上空に座する麻耶からは長い黒髪が紗幕のように垂れ下がり、地面にたどり着き、床を侵食するように広がっている。まるで黒い滝が流れ落ちた瞬間で停止しているかのような幻想的な光景だった。麻耶はその頭部だけで、神話に描かれた神秘的な風景を作り出していた。
 陽介はその壮大さに再びへたりこみながら、これまでの巨大な肢体が麻耶のものであるとようやく認識することができた。
 震えながらも、陽介はかねてよりの疑問を空にそびえる麻耶にむけて叫ぶ。
「……な、なんでそんなに大きくなってるんだ、麻耶?!」
<違うよ。私が大きくなったんじゃなくて、陽介くん、君が小さくなったのよ>
 
「へ……?」
 想像もしていなかった答えに口をぽかんと開けていると、がさがさという音がし、程なくして細長い長方形の透明な板が降りてきて、陽介の隣へと突き立つ。細長いと言っても、その横幅は陽介が両手を広げた程度にはある。高さは五メートル以上は優にあるだろう。
<気をつけて立ってそこに並んで>
 陽介は言われたとおりにする。透明なアクリル板には、黒く目盛りと数字が刻まれていた。身長測定で使われていた測定器具を思い出したが、単位が明らかに違う。陽介の目線より少し上に「5」という数字があった。――これは、アクリル定規だ。
<それが、今の陽介くんの身長――五センチ、だよ>
 陽介は、にわかにその事実を受け入れることが出来なかった。だが、陽介と麻耶は実際今まで空き教室から一歩も外には出ていなかった。積まれた机や黒板、壁や消灯された蛍光灯は陽介にとってあまりにも遠すぎて、認識することができなかっただけで。
 *
 ずっとしゃがんだ姿勢でいるのがつらくなったのか、麻耶は栄一に正面を向けて教室の床に座り込み、体育座りの姿勢を取った。陽介の前に、例によって巨大な上靴が整列している。
 先ほど麻耶の足元にいたときは感じている余裕がなかったが、少し臭いがきつい。靴特有の埃臭さと、少女の汗の酸っぱい香りが陽介の鼻孔を刺激していた。だが、悪臭であるはずのそれは、なぜか陽介にはここちいいものに感じられた。
 それはそれとして、陽介には要求しなければならないことがある。
「も、元に戻してくれよ、麻耶!」
 意を決して、折られた膝の向こう側へ懇願する。原理はわからない。なぜこんなことをしたのかもわからない。だが、状況から言って麻耶が何かをしたために自分が縮んでしまったのは確実だった。
<あら? 元に戻りたいの。なんで?>
「なっ」
<身体が小さいと、何かいやなの?>
「そ、そりゃ……」
 予想もしていなかった問い掛けに、陽介はうろたえる。こんな虫みたいな大きさ、いやに決まっている。
「そもそも、どうやって生活したり学校に行ったりすればいいんだよ。これじゃ、階段だって登れないし、椅子にも座れない。メシだって食えない」
<どこかに行きたい時は、私が運んであげてもいいよ。ちゃんと私が隠してあげるから、みんなに見られて恥ずかしい思いをすることもないわ。ご飯のお世話だってしてあげる>
「お、親にどうやって説明すれば……」
<家に帰らなければいいじゃない。私の部屋は、陽介くんひとりが住んだところで別に狭くならないし。……別に家族のことなんて、大して好きじゃないでしょう? いい機会じゃないかしら>
 丘のように鎮座する両脚の向こうから聞こえる麻耶の声は優しげだったけれども、その言葉は淡々と陽介を日常から切り離していくことを暗に告げていた。
 だが、麻耶の言葉に陽介はわずかに納得しかけ、じわじわとなぜ小さいのが嫌なのかわからなくなってきた。大きな者の声は、小さな者にとってそれだけで魔法となりえることを、麻耶は知っていた。
 それでも、まともな精神の残っている陽介は懸命に五センチの身体がまずい理由を搾り出す。
「じゃ、じゃあその……おれたち付き合ってるんだろ! キスとか、その……キスとか、どうするんだよ!」
 恋愛経験が皆無の陽介は、そう言うだけで口をもごもごさせて赤面せざるを得なかった。麻耶の両脚が、少し振動したように感じた。陽介にはわからなかったが、麻耶は笑ったのだ。
<そう、私たちは付き合っている。キスでもその先のことでも、問題なく可能よ。愛さえあれば、なんだって実現できるの。身長の差なんて、大した問題じゃないのよ>
 まったく愛など信じていなさそうな顔で、麻耶はうそぶく。
<改めて聞くけど、何が不満なの? 付き合っている以上あなたの生活は保証する。面倒なことはすべて私がしてあげる。……もしかして、手を伸ばしても私の膝にも届かないほど小さな身長が、恥ずかしいなんて見えっ張りなことを言うつもり?>
 まるで幼子を諭すような口調で、麻耶は足元の陽介に言う。小さくした理由を一切言わず、ごまかしだらけのその言葉に、陽介はいつしかうなだれていた。確かに彼女の言うとおりかもしれない……それに、どれだけ抗弁しても彼女は元の大きさに戻してもらえないだろう。まさか一生このまま、なんてことはあるまい。
 
<さて、付き合い始めたことだし……キスでもしましょう>
 そう告げると、麻耶はなぜか足だけで器用に右の上靴を脱ぎ捨てる。家のように大きい靴が目の前でぐねぐねと動き、鉄骨が落ちるような音とともに脱ぎ捨てられる。靴を脱がれるだけのことで萎縮していた陽介の頭上に、黒い靴下に包まれた足先をかざした。指の股が、汗が染み込みより暗い色になっている。生暖かい空気が、陽介の周囲を包む。
 陽介は思わず手で鼻と口を覆う。目の前の麻耶の足から発せられる臭気は靴に近づいた時の比ではなかった。甘く酸っぱい臭いが刺すように痛い。嗅いでいるだけで意識が飛びそうになる。
 そもそも、なぜキスをするのに足指を突き出されないといけないのか。
<だって、私と陽介くんが普通に唇を合わせるなんてできないじゃない。なら、陽介くんに身体のどこかにキスをしてもらおうと思って>
 無茶苦茶な理屈だった。
<……それとも、陽介くんは私と『キス』もできない意気地なしなの? なら、私と陽介くんは付き合っていないってことになるのかなあ>
 陽介の顔が青くなる。この言葉の外に含まれている意味がわからない陽介ではなかった。
「わ、わかったよ……キス、するよ」
 唾を飲み込み、陽介はそれだけで抱えるほどの大きさを持つ親指の前に立つ。立ち上がって尚足指は陽介の目線より高いところにあったが、麻耶にしてみれば少し足に角度をつけただけにすぎない。かかとは、まだ床とくっついているのだ。
 きめ細かな生地で構成されているはずの靴下は、繊維のでこぼこがまるで絨毯のように粗い。丸みを帯びた指の頂部の繊維が爪に押し出され尖っている。布のむこうにあるそれが、陽介にはまるで断頭台の刃のように無情に見えた。
 極力鼻で息をしないように注意しながら、親指の腹に唇をあてがう。何をしているのだろうか、自分は? 同い年の女の子の足指に靴下越しにくちづけをするなんて。まるで麻耶に……いや、麻耶の足に隷属を誓っているようじゃないか!
<全然何をしているのか感じないんだけど>
 陽介の必死さには裏腹に、麻耶の評価は酷いものだった。陽介は震え上がる。この場所でこの状況で彼女の不興を買うのは何よりも恐ろしいことだった。何しろ、もし麻耶が気まぐれに爪先を床につけようものなら……!
<キスって、唇をくっつけることじゃないのよ。もっとあるでしょ。わかる、陽介くん?>
「ううっ……」
 麻耶はまったくお気に召していない様子だった。陽介は試しに恐る恐る舌を這わせてみる。舌先に広がるざらりとした感触、苦くしょっぱい汗の味に涙がこぼれそうになる。今度は吸ってみるが、その拍子に鼻で息を吸ってしまい、強烈な香りにむせこみのた打ち回る。
 女の子の足の臭いが、こんなにつらいなんて。いや、そうではない。自分が小さくなって感覚が鋭敏になってるから、足の臭いにすら耐えられなくなっているのだ。この虫けらのような大きさでは、あまりにも麻耶という少女は大きすぎて、ただ存在されているだけで苛まれてしまうのだ。
<……はあ。もういいわ。キスもまともにできないなんて思わなかった>
 不意に麻耶はそう告げ、脱いだ片方の上靴をそのままに立ち上がる。陽介と会話をしていた麻耶の顔がはるか空の上へと昇っていき、やがて見えなくなる。あまりにも巨大な存在の、かろうじて人間的だった部分が陽介の前から失せ、ひとり取り残されたかのような強い不安感を覚える。
 陽介は天高くへと叫ぶ。その姿はまるで見えざる神へと慈悲を求めるような、敬虔で哀れな信者のようだった。
「ま、麻耶! こんどはちゃんとする! ちゃんとするから!」 
 ――だから、置いて行かないで。
<そのくせ、自分は立派に元気にしちゃって>
「……!」
 そうなのだ。陽介は麻耶の足にくちづけを試みている最中、ずっと自分のものを勃起させていた。陽介は、自分自身が信じられなくなっていた。
<そんなに、私の足の下が気に入ったの?>
 麻耶がゆっくりと靴下の足を持ち上げると、陽介の身体はその足の影にすっぽりと包まれた。天井のような足裏が、空気を圧縮しながらどんどん迫ってくる。
「うああああ!」
 踏み潰される――!
 そして、足裏が無慈悲にぐおおと下ろされ、陽介は押し倒される。全身が床と麻耶の足に挟まれ、身動きがとれない。今まで経験したことのない重量に圧迫され、骨がきしみ、肺から空気が音を立てて逃げていく。顔面は足の親指と人差し指の間の隙間にあったためかろうじて窒息はせずに済んだ。
 だが、それは必ずしもいいことばかりではない。肺から押し出された酸素をふたたび補給するため激しい呼吸をしなければならなかったのだが、それは麻耶の足先の湿り生暖かく、そして臭い空気を取り込まざるを得ないということだった。呼吸するたびにその口からは涎が、目からは涙が垂れる。指の股の間から見える麻耶の巨体がぼやけてきた。無駄だとはわかりつつも手足を動かそうともがいてみるが、麻耶の巨大な足は固定されているかのように微動だにもしなかった。
 あとで陽介が知ることになるのだが、このとき麻耶はまったく力をかけていなかった。それどころか、本当に押しつぶして殺したりしないように加減をしていたらしい。もし靴を履いたまま同じ事をされていたら、加減がうまくいかず靴自体の重みだけで陽介は潰れていたのかもしれない。一人の少女の身体のほんの一部がそこに存在するだけで、陽介は生と死のはざまに立たされていた。
 陽介が白目を剥きかけたころ、全身にかかっていた重量がフッと消えた。ようやく足がどかされたのだ。
 ――助かったのか?
 それは早計だった。雲の上――陽介の不可視領域――から伸びてきたのは、今度は麻耶の手だった。麻耶の白くきれいな巨指がクレーンを思わせる動きで陽介を裏返し、襟首をひっかける。「ぐへっ」と陽介はカエルのようなうめき声を上げた。
 陽介をつまんだ麻耶の指は急上昇して陽介の三半規管を狂わせ、どこかへと水平移動する。指と陽介が止まった場所は、麻耶が脱いだ靴の穴の上だった。
<そんなにわたしの足が好きなら、ここにいてもいいよ。あるいは一生、ね>
 なんの確認もなく陽介から指が離れ、靴中へと落とされる。受け身など取れるわけもなく、靴底に顔面を打ち付けてしまう。陽介がぶざまに痛みにもがいていると、頭上でぼふっ! という音がして、靴の中が暗くなる。あわてて上を見ると、黒い布の天井が靴の入り口を塞いでいた。ドット状の模様のこれは……麻耶が脱いだ靴下だ。
 ――閉じ込められた!
「だ、出してよ麻耶!」
 
<私と付き合っても居ない人間が、軽々しく私の名前を呼び捨てにしないで>
 それが麻耶が陽介に最後にかけた言葉だった。
 ずしん、どしんという靴の中まで響く震動と音とが一定のリズムで繰り返され、そして徐々に遠ざかっていき、聞こえなくなる……。
 ――置き去りにされた。
 誰も来ない忘れられた空き教室の、女の子の上靴の中に。
 静まり返った空間で、陽介の顔からこれ以上なく血の気が引いていく。
 *
 閉じ込められて一時間。
 人間の世界では日が沈み、夜となっていた。
 だが、靴の中の世界には関係ないことだった。暗闇は一様で、時間による変化はない。ポケットに入れていた携帯電話を取り出し、ディスプレイの発光で明かりをとる。陽介と一緒に縮小されていた携帯電話は電波こそ通じなかったが、動作自体は問題なかった。
 靴は五センチの陽介にとって部屋のように広大だったが、過ごしやすく快適かといえばまったくそんなことはない。靴の中の臭気は靴下よりも強烈で、しかも天井の蓋のおかげで決して臭いが逃げることはない。また、麻耶の体温の余韻が残っており非常に蒸し暑く、いるだけで汗が流れていく。少しは慣れては来たものの、控えめに言ってここは地獄だった。
 とりあえず、窒息する危険は無いようだった。靴の上に被さっている靴下の繊維の隙間は空気が流れるには十分なものだった。とはいえこの空間は空気が循環しにくく、そこには汚れた空気がたまりっぱなしになってしまう。なので、陽介は息苦しくなると天井の靴下の繊維の隙間から直接新鮮な空気を取り込んでいた。これをするたびに、麻耶の爪先に必死にキスを繰り返していたことを思い出し、陽介は複雑な気分になる。
 脱出は一時間の間何度も試したが、不可能だった。靴下を持ち上げてその隙間から脱出するというのが簡単そうに見え、実際にやってみると非常に難しいことが判明した。外向きに湾曲した革の壁面によじのぼり、どれだけ顔を真っ赤にして持ち上げようとしても、靴下はまるで何かに縫い止められているかのように動かなかった。考えてみれば当然のことである。片方の靴下の重さはおおよそ五十グラムだが、通常人類の三十分の一足らずの大きさの陽介の体重は二グラム程度しかないのだ。何かの拍子に靴下が靴の中にまでずり落ちてきたら、陽介は靴下に押しつぶされよけい身動きがとれなくなってしまうだろう。自分の二十五人分の重さの物体を少しでも持ち上げるのは、たとえ万全な状態であったとしても無理である。そして、靴下の二十五分の一ほどの価値しかない自分が麻耶に見捨てられるのも道理である。そう陽介は思った。
 他に脱出口がないか探してもみた。自分のようなサイズの人間が通り抜けられるような穴が都合よく開いているかもしれない。そう期待して陽介は、舐め回すがごとく靴全体を調べてみたが徒労に終わった。爪先方面へ身を屈めて潜り込んでみたが、そこは特に強烈に臭いの篭っている場所だ。吐きそうになりながら探してみたが、もちろん何もない。
 疲れ果てた陽介は、ひとまず脱出を諦め眠ることにした。甘やかで過酷な香りに包まれて。
 陽介の着ていた制服のシャツは、すっかり薄汚れボロボロになっていた。
 *
 早朝。そう携帯電話の時計が示していた。
 こんな場所でも疲れていれば寝られてしまうのだなあと感心する。硬い靴底の生地の上で寝たため、全身が痛い。また、昨日から何も食べていないため、腹は鳴りっぱなしだった。だがそれよりも重大な問題がある。
 陽介の喉はからからに乾いていた。
 人は食料がなくても七日間は生き延びられるらしいが、水がなければ三日足らずで死に至るらしい。
 水分……なんでもいいから、水分を。ポケットを探る。だが、出てくるのは糸くずばかり。
 ああ、そうだ。思い当たる。この靴にも、水はある。
 だけど、それは……。
 *
 
 昼。陽介は衰弱状態で、できるだけ体力を減らさないようかかとの部分でうずくまっていた。かかと部分のラバーの靴底は、黒ずんでじゃいたが口に近い分、ちゃんと乾いている。
 助けが来る可能性を、陽介は期待していた。麻耶が自分を置き去りにしたあの時、引き戸を閉める音はしなかった。つまり、この教室は開放されっぱなし。生徒がたまたま入り込み、不自然に放置されたこの靴を発見する可能性はある。廊下の奥で普段誰も来ない教室とは言え、誰かが来ない確率はゼロではない。そうでなくても、教員や用務員が点検に訪れるかもしれない。
 何しろ普段鍵がかかっている教室の戸が開けっ放しになっているのだ。目につかない可能性のほうが、低いのではないか。第一、学校から帰らない自分のことを友人や家族が心配して探しているはずだ。……こうして考えると、助けが来ない確率のほうが低い気さえしてくる。自分の思いつきに胸をときめかせながら、陽介はそれを待っていた。
 結論を言うと、助けはなかった。麻耶は戸を閉めなかったが、その代わりに、人が来ないように強力なまじないを教室全体にかけていたのだ。今、この教室の存在を認識できるものは、陽介と麻耶しかいなかった。
 どこか遠くから聞こえる生徒たちの歓声が、遠い世界のものとなっていた。
 *
 夕。
 閉じ込められてから二十四時間が経過しようとしていた。学校から生徒が消えて行く時間帯でもある。
 陽介は限界だった。手足が、言うことを聞かなくなっていた。脱水症状である。もう最後の手段をとるしか無い。ためらいは一瞬だけだった。朝、やろうとしてやめた行動へ移る。陽介は緩慢な動きで爪先へと這って進む。
 爪先には、麻耶の汗が気化せずに染みこんで残っている……。
 意を決し、この靴の中でもっとも黒ずみ、湿った部分に舌を這わせる。
 ぴちゃり。
 ラバーに染み込んだそれはしょっぱかった。むせかえるように苦かった。だが、何よりも……。
「おいしい……?」
 
 その時、世界が大鳴動した。
 *
 靴全体が動いている。誰かが、自分のいる上靴を持ち上げているのだ。靴底の地面が傾き、陽介はかかとへと転がり落ち、頭を打つ。
<やっぱり、私の足が好きなのね>
 頭上を見上げて、陽介は心臓が口から飛び出しそうになる。何か言おうとしたが、うまく発声することができない。天井としてふるまっていた靴下が取り払われ、かわりに麻耶の巨大な顔が全天にそびえていた。
<まるで樹液にたかる虫みたいに、私の汗染みを必死にすすってたわね。お前は虫けらなの? 陽介>
 白桃色をした麻耶の唇が、容赦なく陽介を責め立てる。麻耶の顔が、今までよりずいぶん近い。息がかかりそうなほどだ。靴を手でもっているからだろう。ある意味では初めて、陽介は麻耶とのスケールの違いを実感できたのかもしれない。ビルの壁面をまるごと使用したポスター広告に映る巨大なアイドルの顔を思い出す。だがこれはポスターとは違い、実在する三次元の少女の顔だった。
「た、たすけて……麻耶……」
<ねえ陽介、お前はなんで生きているの?>
「……え?」
 そして湿る。麻耶が言葉を紡ぐたびに口が開かれ、息がかかる。ごうごうという風に陽介の髪が揺れ、そして湿っていった。吐息には生きている以上仕方ない程度の甘い口臭こそあったが、いままで味わっていたどす黒く濁ったような空気よりもはるかに心地良く、清涼感のあるものだった。
<お前がいる場所は、どこ?>
「靴の中。麻耶の靴で、麻耶の手の中にある靴の中」
 麻耶の顔が近づき、やがて靴の出口が麻耶の口でほとんどふさがれる形になる。喋るたびに開く、てらてらと光る桃色の口の中を見上げていると、まるで自分が麻耶の口の中にいるかの様に思えてくる。
<お前が吸っている空気は、何?>
「麻耶の……靴下を通した空気、そして、麻耶の吐いた息」
 麻耶の吐息を一ミリグラムたりとも逃すまいと、陽介は必死で吸い込む。一度呼吸するたびに、全身が透き通っていくような感覚が陽介の中に走る。
<お前が飲んだものは>
「麻耶、……の……汗、で、す」
 口の中に覗く麻耶の舌へ飛びつきたい。潤いをたたえた舌から、麻耶の唾液を直接すすりたい。虫のように。
<お前は、なんで生きてるの?>
「……麻耶」
 シンプルで、自明の話だった。
「……麻耶、麻耶で生きてる」
 場所。空気。水分。認識。すべては彼女のもたらすものだった。
<口を開けて。ご褒美をあげる>
 言われた通り、餌を待つ雛のように陽介は上を向いて口を開ける。
 麻耶は口をもごもごさせ、つう、と唾を陽介めがけて垂らす。狙いは寸分違わず陽介の口へと着地した。陽介と麻耶の間に白く輝く糸ができる。まるでキスの後のように。
 陽介は、麻耶から垂らされた、生暖かくねばねばした塊を飲み込もうとする。小さくなった身体には、唾液程度の粘性と量でも飲み込むにはつらい。何度も喉を鳴らし、やっとの思いですべて嚥下した。麻耶の唾液が、全身に水分として染み渡っていくのが分かる。飲み下してなお、陽介は喉に麻耶の唾液が残っているような感じがした。
<いい子>
 麻耶が唇の端をくいっとわずかに上げた。笑ったのだと、陽介には認識できた。
 *
 麻耶は椅子に座り、はしたなく制服のスカートをたくしあげる。閉じたふとももの上に、陽介は置かれていた。ほおずりしたくなるほどなめらかな丸い肌色の地面からは体熱と少女特有の芳香が放射され、陽介はすっかり魅了されていた。だが、これだけで満足する訳にはいかない。なにしろ麻耶に『キスの続き』を許可されたのだから。陽介が目指すのは、太ももの大地の向こうにあるレースに彩られた三角地帯だ。
 麻耶のショーツ地帯へと近づくたび、むんむんとした匂いが強くなる。女の匂いだった。発生源が近くなっているうえ、持ちあげられたスカートの生地が屋根になって空気を閉じ込めているからだろう。ショーツの向こうには、白磁のようなおなかがそびえている。頭程の大きさのおへそがぽっかりと空いていた。
 陽介は、レース部分に足を取られそうになりながらショーツを縦断する。ショーツに乗った時、足の裏でじゅくと湿った感触がした。汗で濡れているのだろう。
 腰回りのゴム部分へとたどりつき、ショーツの上端を持ち上げ、脱がそうと試みる。だが、靴下すら持ちあげられない陽介にそんなことができるはずもない。内部に入り込もうと思っても、自分が通れる程度の隙間すら作れやしなかった。陽介は無力感に情けない顔を作る。
 麻耶は少し尻を浮かせ、脚を少しだけ開きながら身を乗り出す。それだけで陽介の小さな体はショーツを転がり落ち、ふとももとふとももの間にある狭い空間へと落ちる。そして、麻耶はたくしあげていたスカートをふわりと元に戻した。陽介の姿は完全に隠れ、傍目に見ても麻耶が座っているようにしか見えないだろう。
 顔を上げると、左右には太ももの丸い壁がそそりたっている。汗が珠となっていた。まるで今にも自分めがけて転がってきそうな錯覚を陽介は覚える。そして正面にはもちろんショーツが睥睨している。汗でぴっちりと素肌に透けた布地が張り付いて、股間の輪郭を際立たせたその光景はあまりにも淫猥だ。
 汗と新陳代謝の熱気が閉じ込められたサウナのような空間。クロッチに付着した分泌物の匂い。陽介はもうこらえきれなかった。よれよれになった服を脱ぎ、全裸となる。そして、地表近くの皺になってよれている股布部分へと体当りする。そして自分の一物をそこへと押し付ける。陽介はショーツから染み出した麻耶の汗で全身を濡れさせながら、繊維を貫通させんとばかりの気迫で腰を振る。汗で湿った股布のひだひだがこすれ、陽介にこれ以上もない快楽を与える。
「はっ、はっ、あっ、あっ、麻耶あっ!」
 陽介が射精に至るまでさほど時間はかからなかった。勢い良く放出したあと、我に帰り麻耶の下着を汚してしまったことに罪悪感を覚える。しかし、陽介の出した白濁液はショーツ全体から見れば一条の白い筋が少し走った程度で、レースの飾りに同化してしまう程度のものでしかなかった。虫けらのような大きさでは、麻耶自身どころか下着すら汚すことはできなかった。
 ごろり、と麻耶の股間に寝転び、ふとももとショーツとスカートの屋根を見比べる。陽介が絶頂に至る前と後とで、それらの様子はまったく変わること無く存在を続けていた。人間ごときに犯されることなどない、と言いたげに。
 もうきっと、ふつうに女の子の部分に挿入することは許されないのだろう。陽介は今更ながらに実感を深めていた。それでもいいのかもしれない。陽はとっくに地平線の下へと潜っていたが、教室は紅く染まりっぱなしだった。まるで夢のように。