sizefetish-jp2cn-translated-text / Text Unready /[ゆ] 井波さんの社会見学 [135802469] JP.txt
AkiraChisaka's picture
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そこには客はおろか、従業員の姿すら見当たらなかった。
けれども年中無休、24時間営業が基本のコンビニエンスストアである。
新装開店でもしない限り、本来休業日などありはしない。
実際、照明は灯っていたし、商品も過不足なくきちんと陳列されている。
店内放送だって絶えず流れていて、新発売の有名人監修のお弁当のアピールと、
現在全店でやっているキャンペーンを、しつこいくらいに謳い続けていた。
ただ、人の気配だけがすっぽりと抜けているという奇妙な空間。
それは店内に限ったことではなかった。
例えばそのコンビニが面している道路は駅前へと続く計上下五車線の大通り。
これほど車が走っていない、というよりも一台の往来もないというのは、かなり異常なことだった。
そして、その代わりに先程からちょくちょく聞こえてくるのは、
上空を忙しなく飛ぶ何機ものヘリコプターのバタバタというプロペラ音。そして…
ドーン…
不意に遠く彼方より、何か重々しい音があり、続いて微かに地面が揺れた。
しかし、それは地震とはどこか異なる不自然さがあり、
たとえば工事現場で重機によって引き起こされるかのような、人為的な気配を有していた。
それを証拠に、とでも言うべきであろうか、それが収まったかと思った矢先に次があった。
ドーン…ドーーン…ドーーーン…
その地震モドキは一定のペースを保ったままで断続的に繰り返され、一回ごとに大きくなっていく。
伴って、もう一つ新たな音がそこに加わった。
それは、人の声のようだった。
それも如何にも鷹揚な雰囲気を有した少女のもの。
ただし、そこに明瞭な言葉はなく、代わりに独特のテンポと高低、抑揚があった。
「ん~ん~ん~ん~♪ふっふっふっふ~ん♪」
どうやら鼻歌らしい。
規則的な重低音と震動の合間を縫って届いてくる愛らしいその声もまた、地響きに勝るとも劣らず、
やがてヘリコプターの飛行音を残らずかき消してしまうほどの大音量となり、
その声色にぴったりの…しかしこのただならぬ状況には到底似つかわしくない、
明るい旋律を、楽しげに奏で続ける。
ドーーーーン…ドーーーーーーーン…
今やそれはまるで爆弾でも投下されているかのような轟音となり、
立っていることもままならないほどの縦揺れへと進化していた。
店内全体が激しく揺さぶられ、おにぎりやカップラーメンを始めとした商品が、
一つ、また一つとぽろぽろとこぼれ落ち始める。
「ふふふふ~ふふふふ~ん♪ふっふふっふふ~ん♪………よっと」
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン
そして次の瞬間、一際凄まじい、これまでの比ではないほどの衝撃と爆音があった。
小さな駐車スペースに面していたガラスが、残らず砕けて弾け飛び、
商品という商品が残らず一度に宙に浮き上がり、床に投げ出される。
いや、正確には陳列棚ごと吹き飛ばされ、ぶちまけられたと言うべきか。
据え置きだと思われていた重量級のコピー複合機は横滑りして、
アイスの入ったフリーザーに突っ込み、カウンターからはキャッシャーや、温蔵庫、
それに四角いおでん釜が転げ落ちてけたたましい音を立てた。
こうして店員さえいればすぐにでも営業可能であった筈のコンビニの抜け殻は、
僅か数秒のうちに一両日かけても復旧が困難と思われるほど、
徹底的に破壊し尽くされてしまったのだった。
もしここに誰かがいて、今の突発的大地震を何とか無事にやり過ごせたならば、
もうもうと立ち込める砂煙の向こう、ガラスの無くなった窓一杯に、
この大惨事を引き起こした犯人の姿………の極々一部を目の当たりにすることとなったであろう。
それは圧倒的な体積と質量を持ち、アスファルトを陥没させている黒っぽい何かだった。
今の衝撃で断線してしまったのだろう。
まるでひっくり返されたかのようにぐちゃぐちゃになった店内は、電気が消え、
その巨大な物体によって外界からの光も遮られて薄暗く、一転してひっそりと静まり返っていた。
同時に謎の鼻歌もまた、いつの間にか止んでいたのだった。
この国で彼女の名を知らぬ者は居ない、と言っても決して過言ではないだろう。
深い濃茶色の革靴に、黒のハイソックス、
黒のラインによってチェック模様の施された紺のスカートに
同じくネイビーのブレザーを着用し、赤いネクタイを結ぶという出で立ち。
それは正に学校の制服そのものといった風なのだが、それがどこものなのかはわかっていない。
少なくともこの近辺にある二つの高校と一つの中学のそれではないことだけは確かだった。
肩くらいまでのゆるくウェーブがかった柔らかそうな黒髪に、比較的色白で、瑞々しく滑らかな肌、
くりっとして大きく円らな瞳が特徴的で、やや童顔ではあるものの、美少女と言っていいだろう。
顔貌にも装いにもそれほど特異なところがあるわけではなく、確かに器量良しではあるけれども、
どこにいてもそう不思議ではないような極々普通の女の子。
けれども、彼女は間違いなく日本一の、
それこそ一挙手一投足を逐一注目される程の有名人であった。
実際今この瞬間にも、彼女は町中の人々の視線を一身に集めながら、歩いている。
もっとも当の本人にはそれを意に介する様子は全くない。
或いは単に気づいていないだけなのかもしれない。
そんな少女は鼻歌交じりで、見るからに上機嫌だった。
足取りは弾むように軽く、まるで彼女のそんな気持ちを体現するかのように、
その動きに伴って、その髪とスカートがふわりふわりと揺れる。
そして、きっとこの町が初めてだからなのだろう、
時折立ち止まっては無垢な瞳を瞬かせ、辺りをゆっくりと見回したり、小首を傾げたりしている。
そんな愛らしくも、ほんの少しだけ頼りなげな仕草や表情は、
いかにも温和で純朴でおおらかそうな…少々悪い言い方をするならば、
世間知らずで些かトロそうであるという印象を、見る者に与えた。
もっともその見立てはあながち間違いではなかった。
実際彼女は底抜けに純粋で、お人好しで、おっとりとした性格の持ち主だったのである。
それは勿論彼女が元より持ち合わせた気質でもあったが、
何より彼女を取り巻く環境の賜物であるのかもしれなかった。
というのも彼女は人を疑ったり、警戒したりする必要性を感じたことなど唯の一度も無かったのだ。
例えば電車の中で痴漢にあっただとか、声をかけられて、どこかに連れ込まれそうになっただとか、
ストーカー被害にあっただとか、そういった怖い思いをした経験は皆無。
それに加えて、交通事故、火災、転落事故、水難事故等その他諸々、日常生活の陰に潜み、
ふとした拍子に牙をむいては、生命に害を及ぼしかねないような危険とも無縁で生きてきたのだ。
そんな彼女に危機感を持てというほうが難しいことなのかもしれない。
とは言っても温室育ちだとか、箱入り娘だとか、そういったものとは少々事情が異なった。
というのも、彼女はありとあらゆる危機を、自らの力だけで払ってきたからだ。
…いや、その表現にもまた些か語弊があった。
少なくとも彼女自身が意識してそうしたわけではない。
そういった危険が、彼女の前では、自ずと、等しく、残らず無力と化す、それだけのことだった。
一見すると大人しく、可憐で、無防備そうな少女。
けれども、その実彼女には秘められた大いなる力があったのだ。
………などという奥ゆかしい話では断じてなかった。
実際は潜在的でも何でもなく、誰がどう見ても、露骨に、如実に、
それはもう、これでもかというくらいにそれは顕在していた。
少なくとも彼女と直に遭遇すればその理由は一目瞭然で、否応無く納得せざるを得ないことだった。
もっとも今現在に至っては、彼女が往く大通りに、すれ違う者の影など一つもありはしないのだが。
それどころか、周囲の建物にも、その隣の通りにも、
その隣の隣の通りにも、動くものの気配は一切ない。
そこここに車が乗り捨てられ、信号の明滅だけが繰り返されるだけの、
ゴーストタウンさながらの町。
そんな異様な風景を別段気にする様子もなく、むしろ、さも当然であると言わんばかりに、
少女は一人、目的地へと向かってとことこと歩み続ける。
と言うのも、何を隠そうこの無人の界隈を望み、
そして生み出した張本人こそ他ならぬ彼女だったのである。
そして、それにも関わらず、多くの人々が一様に、たった一人の少女の動向を
固唾を呑んで見守るという、普通に考えれば決してありえそうにない、
不可解極まりない奇妙な状況。
それを成立させるものこそが、少女の最大の外観的特徴であり、
様々な危険から少女の身を守る絶対的にして大いなる力の正体であり、
また、少女をその挙動の一つ一つが人々の注目を集めるほどの存在たらしめた所以でもあった。
そう、端的に言うならば彼女はとても大きかったのである。
勿論それは少々背が高いだとか、肉付きが良いだとか、そういったレベルのものではない。
より的確な言葉で表すのならば巨大、なのである。それももう途方もなく。
この辺りでは飛び抜けて高い駅前の二つの高層ビルでさえ、
やっと少女の腰に届くかどうかという程度で大半の建物は彼女の膝にも達しておらず、
また、彼女より背の高い建造物など県内にはたったの二つしかない。
だからこそ、たとえ町のどこに居たとしても、そこがある程度見通しの利く所であるのなら、
彼女の姿を十分に目視し、その存在を確認することが出来たのである。
気立ては優しく穏やかながらも、その巨体が故に半ば不可抗力的に
引き起こしてきた大騒動は数知れず。
彼女こそ、通称『アルティメットほんわかトラブルメーカー』こと井波さんその人であった。
「…ふっふふっふふ~ん♪………よっと」
歌の終わりにちょうどタイミングを合わせるように。
少女はぽーんと少しだけ跳ねるように大きく歩幅をとると、両足をほぼ同時に着地させる。
そうして彼女はそこで一度歩みを止めると、半身を捻り、そろそろと背後を顧みた。
それからすぐに相好を崩すと、満足げにふいっと一つ息を吐いたのだった。
大丈夫、壊れていない。足を引っ掛けたりしてはいない。
通りの上を斜めに走る私鉄の高架線を跨ぎこす、その目的を無事に成し遂げられただけで、
この一歩は少なくとも彼女にとっては成功と言っていいものだった。
普段よりも勢いよく接地した靴が、より深くアスファルトを凹ませただとか、
少しばかり歩道にはみ出して並木を数本踏み潰しただとか、
コンビ二の背高のっぽな電光看板が押し退けられつつへし曲げられて
隣接する雑居ビルの三階辺りに突っ込んでしまっただとか、
蜘蛛の糸のように渡された電線を、切断するよりも先にその地面に埋め込んだだとか、
そういった些細な被害もあったものの彼女は全く気にしていはいなかった。
というよりも、それに気がついてすらいなかったのだが。
幸いにもこの道は少女からしてもかなり広い方だ。
足元を余り気にする必要が無いというのは彼女としても気楽なことだった。
もっとも影響はいつだって一方的だ。
それは既に過去において、しかも何度となく実証されてきたことだった。
うっかり鉄筋コンクリートのマンションに蹴躓き、爪先で突き崩して倒壊させてしまった時も、
やむを得なず密集した住宅地に足を下ろし、何軒もの家々をまとめて踏み潰してしまった時も、
山間部で気づかずに高圧線を引きちぎり、鉄塔を薙ぎ倒してしまった時も、
重工業地帯にて石油コンビナートを踏み抜き、大爆発及び大火災を引き起こしてしまった時でさえ、
靴にも、足を包む靴下にも損傷はなく、そして彼女自身もかすり傷一つ負いはしなかった。
僅かな痛みすらなかった。それどころかほんの少しの抵抗さえ感じられなかった。
それは即ち、彼女の行動が外部からの要因には一切左右されることは無く、
その意識においてのみ制御され、その意思によってのみ決まると言うことを意味している。
そんな現実を彼女は大いに後ろめたく、それでいてほんのちょっとだけ誇らしく、
何だかくすぐったく、でもやっぱりものすごく申し訳なく思うのだった。
何にしてもそんな絶対的かつ圧倒的な力を有しながら、それでも少女は足元を気遣う。
学校に病院、消防署、ガソリンスタンド、それから神社仏閣、墓地等々、
独自の判断基準からではあるが、とりわけ壊さないように決めているものも幾つもあるし、
殊更人については、絶対に自身の行動に巻き込まないようにと気をつけている。
実際彼女が人々や町に対して故意に危害を加えたことはただの一度も無かった。
それは純粋に小さく儚い存在に対する彼女の慈しみ、優しさに他ならなかった。
そして、それに加えて、何より単純に少女自身が、
そんなちんまりとした町並みや人々を可愛らしく思っており、
それらを破壊したり、虐げたりすることよりも、
その多種多様な表情や、営みを観察することの方が好きだったのである。
………それでも、少女の意識外でもたらされる被害は甚大なものであり、
彼女の自覚と実際に町が受ける影響との間には、
天と地ほどの大きなギャップが横たわっていたりするのであるが。
「さて、と…」
少女はおもむろにその緩んでいた口元を引き締めると、真剣な表情になった。
目的地は目と鼻の先、あんまり浮かれてばかりいてはいけない。
今日は特に粗相があってはならないのだ。
何しろいつもに比べて"真面目な場"なのだし、うっかりミスだってきっとあんまり許されない…!
ところがそう思った矢先のことだった。
ちょうど駅の真ん前辺りに差し掛かったところで、
不意に足の下で何か違和感があり、彼女はびくりとその身を固まらせる。
それは例えば薄氷のようなものが脆く儚く砕けるような、極軽い感触。
「えっ………わゎ…!?」
と、次の瞬間、これまでと比べて明らかに深く、足がずぶりと沈み込んだのだ。
とは言ってもせいぜいそれは踝辺りまでのこと、
冷静に対処すれば全くどうと言うことは無い状況だった。
しかし少女は慌てた。それはもう大いに慌てふためいてしまった。
そうして、どうにか自身の体勢を支えようと咄嗟に、殆ど反射的に、
すぐ脇の程よい高さだった高層ビル屋上のヘリポートに、その左手をついてしまったのである。
けれども、ヘリコプターよりも遥かに大きく、重量もあるそれを受け止めることなど到底叶わない。
すぐに掌はずしりと沈み込んだかと思うと、同時にビルの上から三階層分くらいが、
まるで内側で何かが爆発したように、外に向かってガラスが弾け飛び、まとめて拉げ潰れる。
「ひゃわっ…!」
それに驚き、更に間の抜けた、情けない悲鳴をあげる少女。
ますますパニック状態になりながら、それでもとにかく身を退けなければという一心で、
半ば無理やりに、高層ビルから手を突き離し、足を引き抜く。
が、平静さを欠いた心で勢いに任せて取った行動は、次なる惨事を引き起こしてしまう。
一歩、二歩と後退したところで、ついに彼女は大きくバランスを崩してしまったのだ。
不幸にもちょうどそこにあって、通りを挟んで向かい合う建物の二階同士を繋いでいた連絡通路は、
通常の歩道橋に比べれば二倍以上の幅があるものの、
上空より迫り来る少女の尻に対しては、余りにか細く、頼りなく、
それが圧し掛かった瞬間に、あっけなくバラバラに砕け散りながら、崩壊する。
更には、折角踏まないようにと意識して避けてきた何台もの自動車達や、
普通に車道を歩いている限りにおいては恐らく踏み潰されることは無かったであろうはずの
通り沿いの歩道上にある電話ボックスやポストまでもが、
広く、深くなっていく巨大な影に呑み込まれていき、
ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォ…
そして、少女は絵に描いたような、見事なとも言える尻餅をついたのだった。
その威力とスケールは圧倒的であり、人知を超えた一つの事象と言っても過言ではなかった。
何しろ辺りの高層ビルよりも遥かに大きいものが、その質量に任せて倒れこんだのだ。
局地的、突発的、しかしそれでいて人為的な大震災。
震源地に存在していたものは、残らずぺしゃんこに圧縮されて、
たった今出来たばかりのクレーターの底にへばりつくように埋め込まれるか、
或いは衝撃に煽られて軽々と吹き飛ばされ、ころころと転がる。
彼女を中心にして深々と生み出された幾本もの地割れの内には、
周囲の建物にまで達して、大きなひび割れを刻みつけているものもあった。
「………ったぁ…」
そんな自らが引き起こしてしまった甚大なる被害をよそに、
情けない呻き声をこぼしつつ、顔を歪める少女。
余程痛かったのか腰を浮かせて尻をさする彼女の瞳の端にはうっすら涙が浮かんでいる。
とは言っても、それは純粋な尻餅に対する鈍痛のみであり、
スカートの下に色々なものを敷いてしまったことについては、全く何も感じていなかったりする。
「…うぅ……ひどい…」
間違いなく自爆以外の何物でもないと言うのに、
何かしらに対して恨み言を小さく呟きながら、はたはたと尻を払う少女。
もっともげに酷いのは、辺りの惨憺たる状況である。
現に今だって、小さくともバスのタイヤ位はあるものから、
大きいものに至っては自動車大のコンクリート片、
更には、ついさっきまで正に自動車そのものだった鉄板まで、
彼女の何気ない掌の動きによって、はたはたと払い落とされ、
数十メートルという高さからバラバラと降り注ぎ、撒き散らかされていく。
とは言え、既に尻餅によってもたらされた隆起や断裂によって
完膚なきまで滅茶苦茶になってしまった道路においては、些事でしかないのだが。
そうして、そんなことなど全く気にする様子は無く、ただただ少しの間ふて腐れた様子で、
一人むくれていた彼女だったが、すぐにハッと我に帰って両の手をつき四つん這いになると、
たった今自らの足が穿ってしまった穴へとそろそろと近づき、覗き込む。
そして理解した。
「あぁぅぅ………やっぱり地下鉄かぁ…」
情けない声色で小さく呻きながら「やってしまった」とでも言わんばかりに、
両手をちょこんと頭に当て、抱え込むような仕草をする少女。
これで何度目だろうか、地下街や地下鉄をついうっかり踏み抜いてしまったのは。
とは言っても、これはある意味仕方ないことでもあるのだ。
何しろ、一見それは極々普通の何の変哲もないアスファルトの道路と変わらないのだから。
それは言うなればまるでさながら落とし穴、むしろ自分もある意味では被害者…などと
思わず自己の正当性をこっそり主張しそうになったところで、
慌てて小さくふるふると頭を振る少女。
彼女はすぐに情けない表情を引っ込めて真剣な顔を作ると、
自ら穿った穴にぐっとその顔を近づけ、食い入るように覗き込んで瞳を数度、瞬かせる。
どうやら彼女の右足は自動券売機や改札のある地下一階部をあっさりとぶち抜き、
更にその下層にあるホーム、更には上り下りの二本の線路をもまとめて圧縮し、
もっと深い位置にまで沈めこんでしまったらしかった。
が、足を勢い良く持ち上げた際にその大部分が崩落してしまっている。
殆ど原型を留めていない上に、既に照明など生きている筈も無く、
自身の作り出した影のせいも相まって、中の様子はよくわからない。
まずはそれをどうにかしなくては。
そこでまず一方の掌を穴の中に差し込むと、支えるようにしながら
もう一方の手で天井…即ち道路を慎重に引き剥がし、白日の下に駅構内を晒していく。
「あのぅ…誰か…いますかぁ…?」
続けて囁く様に問いかける少女。そうして垂れ落ちそうになる髪の毛を数総かきあげつつ
小首を傾げるようにして耳を傾け、感覚を研ぎ澄ます。
反応は無し。
「…誰も…いませんよ…ね…?」
もう一度尋ねながら、今度はおずおずと手を差し込む少女。
まるでごちゃごちゃに詰め込まれたおもちゃ箱の中から、何か探し物でもするかのように、
彼女の手の甲が、外れかけた扉や窓口ごと駅事務室を薙ぎ払い、
指の先がインスタント証明写真機やロッカーを突き飛ばし、掌にて自動改札機を押し退け、
とっくに動いていなかったエスカレーターも、下層をよく観察するという動作の過程で
丸ごとあっさりと引き抜かれ、手近にあったビルの屋上に無意識に放置される。
たった二つの少女の手によって、思うがままにかき回され、
見る見る内に破壊しつくされていく駅構内。
しかし、それでも彼女自身は決して乱暴にしているつもりはない。
むしろ至って丁寧、慎重なつもりであり、
そして決して見逃さぬよう意識して、丹念に人の姿を探っていく。
やがて、改めて本当に人が一人もいなかったことを確認すると、
肩を落としてほっと胸を撫で下ろす。
それから続いて先程手をついてしまった高層ビルの中へと視線を移した。
まずは体を二つ折りにして低い姿勢で下層部を覗きこみ、
そこからゆっくりと上半身を持ち上げていく。
伴って真剣な、そして巨大な眼差しが、ガラス張りのビルに映りこみながら上へと移動していき、
最後は両掌を太腿の間につき、少しお尻を浮かせ、
伸びあがるようにして、特に酷く大破している最上層にまでしっかりと目を配る。
時に外から人影を見とめては、おもむろに人差し指でガラスに大穴を開け、
覗き込んでみたりもしたものの、結局のところそこにあったのは着飾ったマネキン人形ばかりで、
動くものはどこにも無く。
「ん、よし…!」
そうして、建物の方も問題が無かったことがわかると、小さく一つ頷き、
気を取り直すのを兼ねて、わりと元気良く立ち上がったのだった。
「あっ…!」
けれども一難去ってまた一難、気がつけばすぐ眼前にそれが迫っていたのである。
反射的にきゅっと目を閉じ、慌てて動作に急ブレーキをかけつつ回避を試みたものの時既に遅し。
「あいた」
口をついて出たそんな言葉もまた、まるっきり単なる条件反射のようなもので。
実際は痛みからは程遠いコツンという極軽い感触がおでこにあり、次に目を開いたときには、
プロペラの一部が極端に短くなったヘリコプターがふらふらと失速していくところだった。
考えるよりも先に咄嗟に一歩、二歩とそれに歩み寄る少女。
ローファーがずぶり、ずぶり、ずぶりと沈み込むのが分かり、
靴底からはその度に何か様々なものがぐしゃぐしゃに潰れて砕けていく感覚が伝わってくる。
が、今はそんなことを気にしてなどいられない。
差し出した両手で包み込むようにそれを受け止めて、ほっと胸を撫で下ろす。
掌へと伝わってくる重みは驚くほどに小さい。
それは言い換えるならばこの上なく脆いと言うことに他ならなかった。
もし、あのまま勢いよく衝突していたら、空中でバラバラになっていたかもしれない。
ぶつかる直前に気がついて本当によかった。けれども、そのせいで…
「うぁぅ…」
彼女は自身の足元を見下ろし、沈痛な表情を浮かべて嗚咽混じりに情けない溜め息をついた。
勿論、自分のせいで駅がもうとっくに酷いことになっていたのはわかっていた。
わかってはいたけれど、それでも少しでも早く復旧が出来るようにと、
迂回するか或いは思い切り跳躍することによって駅(の跡地)を回避し
これ以上の被害を出すのを避けようと考えていたのである。
…ちなみに実際には回り道をしようにも裏道には彼女の靴は収まり切らず、
飛び越えたら飛び越えたで、着地地点が大変なことになっていたに違いないのだが。
ともあれ、完全に駄目押し。完膚なきまでに崩壊してしまったそれは、今や見る影も無い。
一方掌の中では、最早決してまともに飛ぶことなどままならないはずであるというのに、
尚、じたばたともがくように、鳴り続けるエンジン音。
少女の眉間に小さな小さな皺がよる。
こんな風に地下鉄を滅茶苦茶にする原因の一端を作っておきながら、
全く悪びれもせず、それでいて往生際悪く、
知らん顔で逃げようとでもしているかのような、そんな心象を受けたのだ。
おもむろにそのテイルブーム、即ち胴体から出ている尻尾のような部分を摘み、
眼前まで釣り上げて、ぐっと睨み付ける少女。
「もう…!危ないじゃないですか!」
もし、これが警察や消防関係のヘリであったのならば、決してこんなことはしなかっただろう。
それどころか大迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思い、
小さく…は到底なれないだろうが、真っ赤になってぺこぺこ平謝りしているところだ。
けれども、機体から察するに、恐らく報道関係のものと見て間違いない。
つまりこのヘリコプターは、自分の醜態を全国に知らしめるべく接近してきたということになる。
そんな恥ずかしさと居心地の悪さを綯い交ぜにしたような感情も相まって、
乱暴な態度と精一杯の険しい顔、そして強くまくし立てるような調子での猛抗議
………だったのだが、はっきり言ってその表情は、
怒っているというよりは拗ねてむくれているという感じであり、
加えてその気質をありのままに表しているとしか思えないおっとりのんびりした口調は、
憤怒や不快を示すには余りにも適していなかった。
その上、逆さ釣りにしているとは言っても、十分にそれを受け止められる大きさと力を有した
もう一方の掌がすぐ下にスタンバイしているものだから、実質的には全くと言っていいほど危険は無い。
しかも、そうして断固たる対応を取っている(つもりでいる)そばから、
やっぱりちょっとやりすぎだったかも、などと当の本人が心配になってきてしまう始末であり、
大丈夫かなぁなどとこっそり中の様子を覗き込んでみたりする。
けれども、ガラスの向こうに目を凝らして見れば、幸いにもと言って良いのだろうか、
どうにも搭乗者達に大した影響は出ていない様で、怯えて小さくなっているような気配も無く、
一人など興奮状態で、マイク片手に大きなアクションで、カメラに向かって一心に喋り続けているのが見える。
「………はぁ…もう…いいですよ…」
相手が逞しいのか、はたまた自分に迫力が無いのか…何だか気持ちが殺がれてしまい、
脱力気味に、そして少しだけ口を尖らせて呟く少女。
それに元はと言えば、こんな風になってしまったのは何と言っても自身の不注意のせいであるのだし、
こうして彼らを責め苛むというのは、何だか八つ当たりしているみたいだ。
と、納得はしてみたものの、それで当然居心地の悪さが消えるわけでなし。
彼女は先程自身が手をついてしまったビルの上にそれを開放する。
すると、まるでそれを待ちかねていたとでも言わんばかりに、
間髪入れずに扉が開いたかと思うと、勢い良く人が飛び出してきたではないか。
単に自分が気がつけなかっただけで、本当はけが人でも出してしまったのだろうか。
それなら、こんなところに置き去りにするのではなく一刻も早く病院へ…!
と俄かに心配になってきて、思わずビルの屋上を覗き込み、手を差し伸べようとする少女。
けれどもそんな彼女の気持ちなどどこ吹く風、
カメラマンがこちらにレンズを向けてくると同時に、
レポーターはイキイキ爛々とした眼差しでマイクを突き上げてくる。
「う…うぇっ!?」
完全に不意打ち。続いて矢継ぎ早に繰り出される質問に、その勢いに面食らってしまい、目を白黒させる。
しどろもどろになって、か細い声で、それでもどうにか弁明しようとする少女。
「や、えと…あの…違うんですよ?わ、私は………!……へ?は、破壊ターゲットの選出…基準…!?
そ、そんなんじゃありませんっ!私はただの………えーと…そう!
観光客と言いますか、見学させて頂いているだけと言いますか…」
けれども、大きさ百分の一、せいぜい蟻んこ程度の大きさでしかない筈の相手に、
気圧されてしまい、たじたじとなって、ついには反射的に後じさりをしてしまう少女。
そして足の下の違和感に気がついて、慌てて顧みた時には既に手遅れだった。
ろくろく後ろを意識せずに一歩下がってしまったものだから、靴は歩道にはみ出してしまっていて、
そこにあったはずの屋根つきのバス停は、ぺしゃんこになって跡形もなく消え失せ、
踵に至ってはそこにあった四、五階建ての雑居ビルの一部を抉り潰してしまっている。
「わゎゎっ!?」
焦燥に満ちた少女の悲鳴と、何故か心なし嬉々とした響きを有するレポーターの驚嘆の声が重なる。
続いてカメラに高層ビルの上より倒壊した彼女の足元を映すように指示し、大声で状況をまくし立て始める。
「そ、そんな大袈裟な…!力の誇示なんかじゃありませんっ!今のはその…ちょっとぶつかっただけで…!」
壊してしまったそれをかばう様に、地響きと共に慌ててカメラの前に立ち塞がるも、
今度はカメラが少女の顔へと向けて持ち上げられ、
「………ふ、ふえぇぇぇっ!?人知を凌駕した圧倒的な怪力と質量って…!
も、もうっ!…た、確かにわざとじゃないですし、力だって全然込めてないですけれども…!
…それは、そうなんですけど…!」
困り果てた、情けない声で、それでもせめて撮影だけでも防ごうと掌を彼らの上にかざすも、
「えええ!?ビ、ビルごと叩き潰す!?握りつぶして証拠隠滅!?
だ、だからそういうんじゃないんです!…そうじゃなくて…ただ、その、えっと、あの…」
ダメだ。何をどう弁明しても完全に泥沼。
「あ、た、大変!もうこんな時間…!
えと…わ、私そろそろ行かなくちゃ!………すみません、失礼しますっ!」
もう何だか居た堪れなくなり、おもむろに携帯を引っ張り出してぱかりと開くと、
300インチはあろうかという液晶に目をやりながら言い放つ少女。
言うまでも無く実際はただ、口実をつけて、とにかくその場から離れたかっただけなのであるが。
そして、返事も待たずにくるりときびすを返すと、
乗り捨てられた車を踏み潰したり信号機を蹴散らしたりしつつ、
しかしそれらを意に介する余裕は全く無く、そそくさと逃げるように足早にその場を後にしたのだった。
相変わらず一歩ごとに大地を揺るがし、ずしりずしりとアスファルトを陥没させるものの、
その足取りは明らかにいつもより元気が無く、
くってりとぼとぼな雰囲気を全身から醸し出す巨人の少女。
「あ、ここ…!」
けれども、都市のある一画に差し掛かると、そんな彼女に目に見えて生気が戻り、
伴ってその大きな瞳が輝きを取り戻したのだった。
そう、ここまで紆余曲折があって、些か大変な道のりであったけれども、
とうとう目的地である『今日の約束の場所』へ辿り着いたのである。
つまり、ここからがいよいよ本日のメインイベントということであり、
思えばこの時を心待ちにして、遠路はるばる…というほどではないけれども、
この街にお邪魔し、ここまで来たのだ。
「んと…そしたらまずは、と…」
逸る気持ちを抑えつつ、周囲に目を配れば、
視界に入ってくるのはそこら中に乗り捨てられ、放置されている自動車達。
足の踏み場が全くないということはなかったので、きちんと足の踏み場を意識し、
歩幅をしっかり調節しさえすれば、歩く分にはそう困らないのであろうが、
しかし、『これからしようとすること』を考えれば、このままでは難しい。
…というか物理的にまず不可能だ。となると、いの一番にすべきこと。それは、
「お片づけ、かなぁ…」
少女はそんな言葉を呟きつつ、おもむろにその場にしゃがみ込むと、
恐らく足を踏み下ろした際に生じた衝撃にでも煽られたのだろう、
左足のすぐそばで大きく反対車線にはみ出して停まっていた紺色の乗用車を摘み上げた。
そうしてそれを空いているもう一方の掌の上に解放すると、
続けてその後ろの小型のトラックに指先を伸ばす。更には黄色を基調とした車体のタクシー。
流石に次の一台は届かなかった為、少しだけ腰を浮かせて前進し、捕捉する。
まるで地面に落ちているどんぐりやまつぼっくりでも拾い集めるかのような様子で、
少しでも自分の行動の妨げになるかもしれないと思しき範囲内に存在する
ありとあらゆる車達を片っ端から攫うと、掌の上に、折り重ねるようにして、積みあげていく。
セダン、ワンボックス、路線バス、大型トラック、それにミキサー車まで…
とはいえ、彼女からすればそのどれもが大差はなく、
小型の軽自動車を摘み上げるにも、鉄筋が何本も積載された大型車を拾い上げるにも、
その手の動きは全くと言っていいほど淀みなく、変わらない。
ついでに彼女が手に取る際に発生する指の圧力によって、
時に、フレーム全体が歪に変形してしまったり、サイドミラーがもげてしまったり、
ガラスが割れてしまったり、タイヤが外れてしまったりするなどといった
損壊被害が出ている車も少なからずあったりするのだが、
少女にとっては極々些末なことであるらしく、それを気に留める様子はない。
現に上機嫌な様子で車をせっせと拾い集めていた彼女の動作を阻んだのは、
採取している右の手ではなく、左手のほうの事情だった。
幾ら彼女の掌が大きいとは言っても、ここは駅前に通じる大通りであり、
車はそこら中に停まっているものだから、とうとう一杯になり、収まり切らなくなっていたのである。
少女は掌の上に堆く積み上げられたそれらに、もう片方の手も支えるように添えると、
余り揺らさぬよう細心の注意を払いながら、ひとまず静かに腰を上げることにする。
腕の中の車の山はやや不安定な様相を見せながらも、幸い一台も零れ落ちることは無く。
少女は立ち上がって一瞬満足げな笑みを浮かべかけた。が、
「ぁ…」
次の瞬間、短く乾いた声を発するとともに、そのまま見事に固まってしまったのだった。
ところで、これ、どうしよう?
せっせと拾い集めたまでは良かったのだけれども、
そんな至極大基本的なことに今になって気がついたのである。
まさかボールみたいにきゅっと丸めて遠くに転がしておく…わけにはいかないし、
周りに立ち並ぶビルの屋上じゃちょっと狭すぎる。
かと言って公園や空き地は見当たらないし、
線路のあっち側にあるバスのターミナルは確かに広そうだけれども、
後でバスやタクシーの邪魔になっちゃうかもしれないし…うーんうーん。
思案を巡らしながら、困り顔で暫く辺りをきょろきょろと見渡す少女。
「………!」
と、その時あるものがその目に留まり、同時に曇っていた表情がぱあっと明るくなる。
少し向こうの方…と言っても彼女からすれば直線距離でせいぜい十数歩程度、であろうか。
鉄道や駅を基点にするならば、やや奥まった、
或いは外れたと言える場所に位置する二階建ての平べったい総合スーパー。
その屋上が広大な駐車場になっていて、そのスペースにはまだ大分余裕があったのである。
早速彼女は掌から車達を落とさないよう、胸に抱きかかえる様にして、
足の下ろす場所にだけはしっかりと注意を払いつつ、ととと、と最短距離で小走りに駆け寄る。
そうしてその傍らにかがみ込むと、掌に乗せていた自動車をそこに下ろしていった。
決して無造作に積まれた状態のまままとめて、というのではなく、一つ、一つ、丁寧に。
人差し指と親指で車体の両脇をそっと挟んでは、
何故か引かれた白線に従って並べていくその手つきは、どこか少しだけたどたどしくあり、
何だか将棋や囲碁等といったボードゲームを覚えたての子供のそれを髣髴とさせる。
もっとも一見はそんな微笑ましい雰囲気を有していても、
その実、駒のように軽く扱われているそれらは、最低でもは1t~2tは下らない、
というとんでもない状況であるのだが。
ところが、比較的順調と言えたその手の動きは、
次の一台を摘み上げた瞬間にぴたりと止まってしまう。
その指にぶらさげられているのは大型の路線バスだった。
どうにかその形、大きさに見合うスペースを探してみるものの、
当然のことながらそんな車で客が買い物に来ることなど想定されているはずがない。
「うぅ…」
彼女は駐車場を恨めしげに見下ろして小さく唸りながら、
バスを摘んだまま手を右へ左へとあてどなく隅々まで動かしてみたり、
或いは向きを縦にしたり横にしたりと、試行錯誤を重ねてみる。
が、そうしたところでやっぱり無いものは無いわけで。
結局難しい顔で小さく考え込んだのはほんの十秒ほどで、
「ん…まぁ、しょうがない、かなぁ…」
彼女はそう呟きながら表情を和らげ、駐車スペースではなく、その隙間に置くことにする。
それから同様に他の大型車両も隙間に並べると、すくりと立ち上がり、
規則的な緩急のついた地震を引き起こしながら先の大通りへと引き返した。
そうして再び車両を集め、また総合スーパーの屋上にへと運ぶ。
そんなことを、繰り返すこと何度か。
やがて、周辺から車が一台も見当たらなくなると、
思惑通りきれいさっぱり片付いた界隈と、その収納場となった屋上駐車場を交互に見比べる。
「これでよし!っと」
そうして、自らが行った整頓に対して、大いに満足し、
『上出来』の太鼓判を自ら押すかのように、少女はいかにも嬉しそうな笑みを浮かべ、
晴れやかな、そして少しだけ得意げな表情で、うんうんと頷いたのだった。
けれども、その直後僅かに表情を翳らせたのは、先の駅前での失態が頭を過ぎったからだ。
心優しくお人好しで真面目、そんな気質の彼女だからこそ、
己のしでかしてしまった所業に対して反省や申し訳なさに苛まれながら思う。
いつでも、こんな風にスマートに振舞えたらいいのになぁ…と。
もっとも実際のところはと言えば、一見整然と車の並べられた駐車場は、
しかしその実、大型トラックが出入り口を通せん坊していたり、
更にその前後に殆ど隙間なく車が並べられていたりと、全く出庫のことは考えられていなかったりする。
いや、そもそも殆ど180度に近しい急カーブの細いスロープを、大型バスが抜けられるのだろうか。
それに、どうしても収まりきらない数台が、二段重ねにされていたり、
彼女の運んだもののはどれも例外なく大なり小なり破損していたりして、
中には到底自走などままならず、レッカー車を用いなければならないようなものまであるわけで。
たった一人の少女によって、ものの数分足らずであっさり為されたこの状況、
しかし、これを元に戻すのに、果たしてどれほどの人員と、労力と、時間が必要となるのやら…。
もっとも、当の少女の考えがそこまで及ぶことはなく。
そんな彼女はいよいようきうきとした表情を浮かべると、
こうして出来たスペースに、何を思ってか四つんばいのような格好になり、
そのまま服が汚れるかもしれないことを厭うこともなく、
やや窮屈そうな固い動作で、上半身を倒し、おもむろにぺたんと寝そべった。
そうして、その界隈全体を覗き込むようにして、屈託無く明るく微笑み、声をかけたのだった。
「こんにちはー、お仕事ご苦労様ですー♪」
いつの頃からだろう、気がつけばその習慣は始まっていた。
いや、果たして習慣と呼んでいいのかどうか、それすらあやしい。
ある日突然、某県某市役所の観光課にファックスが届いたのである。
それは若干丸みの帯びた、読み易い丁寧な手書きの文字で綴られており、
内容もまたそれに見合う大変礼儀正しいものだった。が、些か妙でもあった。
一枚目にはその市の魅力が書き連ねられ、
ついては今日の午後一時より、町のあちこちを観て回りたいという要望。
そういった理由でその都市を訪れる人は決して少なくなかったので、
その内容自体におかしいところはない。
問題は何故、わざわざこのようなファックスを役所に書いて寄越したのか、であった。
この市に魅力を感じてくれるとは勿論大変嬉しいことであるが、そんな断りは不要。
よもや、来訪者一人一人を案内することなどできよう筈も無いのだから、
些か乱暴で冷たい物言いにきこえるかもしれないが、
来たければ勝手に来て、好きなだけ観光していけばいい。
と、再びファックスから吐き出されたのは、更に珍妙な内容だった。
ついては恐縮であるけれども、何がしかの対策をとって頂ければ幸いである、と。
そうして具体例としてあげられていたのは、ヘリコプターによる先導や道路の封鎖や警官隊の出動、
更には何故か自衛隊や救急隊の配備まで提案されていたのである。
どこかの国の要人か何かかよ…
そのファックスを手にした職員は心の中で呟くそばから、舌打ちを一つし、
頭をわしわしとやりながら、即座にその可能性を打ち消した。
ありえない。こんなもの悪戯以外の何者でもない、と。
そう決め付けた途端に、からかわれているような気がして苛立ちがふつふつと沸いてきた。
三度、ファックスが鳴った。彼はのろのろと吐き出されてくる紙をもどかしく思いつつ待ち、
半ばひったくるような乱暴な動きで、それをひっつかみ睨み付けた。
すると三枚目に、今一度よろしくお願いする旨と
まるで手紙の結びのような丁寧な挨拶が書かれており、ファックスにしては鮮明な写真と共に、
最後に『井波』という署名を以って締めくくられていたのであった。
ブレザーを着た少女のものだった。年の頃は十代の半ばから後半、だろうか。
ふんわりと緩くウェーブがかった髪に、くりっとした大き目の瞳。
小さく首を傾けて優しげに、そして少しだけはにかむように微笑む少女は、
何とも愛らしく、如何にも真面目そうで、一欠けらの邪気も見えず、
そのような悪戯をするような娘には到底見えなかった。
その余りの純粋そうな表情に、彼もまた毒気を抜かれ、
気がつけば怒りはあっさりと冷え切っていた。
とすれば写真だけを使われたのかもしれない。まったく気の毒なことだ。
そして、代わりに何故か湧いてくる同情心。と、彼はそこではたりと我に帰った。
一通のファックスに何をあれこれ想像しているのだ。
人を見かけで…ましてや判断できるはずは無いのだし、
仮にこの写真の少女の仕業でなかったとしても、これが悪戯であることは間違いないのだ。
こうして時間を割いていること自体、正に相手の思うつぼなのではあるまいか。
だから、彼はすぐさまそれを処分することにした。
ところが、その瞬間、写真の中の彼女と目が合ってしまったような気がして、
何だかバツの悪いような変な気持ちが湧いてきてしまい、結局適当に机の隅に追いやったのだった。
そして数時間後、彼は彼女と再会することになった。
と言っても、実際は遠く市庁の屋上から、足元を逃げ惑う人のお陰でろくろく身動きも取れず、
心底困り顔で窮屈そうに佇む巨人の少女を、あんぐりと口をあけたまま、
ただただ呆然と眺めていただけなのだが。
「うぅ…だから対策を取るようにお願い申し上げましたのにぃ…」
弱弱しく、情けない、しかしそれでも巨躯に見合うだけの声量で
町中にそんな響き渡る恨み言は、しかし言うまでも無く、彼に向けられたものだった。
後に彼がファックスを黙殺した事実が明るみになり、責任問題になりかけたりもしたが、
じゃあ一体誰がこのような事態を想定できたのか?の一言で、それはあっさり鎮火した。
むしろそれを破棄していなかったことが、功績とすら言えた。
お陰で明確な前例として今後の対策の必要性を他の都市に示すことが出来たからである。
そしてそれから程無くして気象コーナーよろしく、『今日の井波さん情報』とでも言うべきものが、
あらゆるメディアにて報道されることとなったのだった。
扱いとしては台風速報と交通情報を足して二で割った感じであろうか。
情報がある時にはトップニュースから大々的に、事細かに、臨時で時間枠を拡大して。
そして何も無くても、その旨は必ず報せる。
故に否応無く彼女の名前は人々の間に浸透したのであった。
彼女からの御指名を受けた地区は当然のことながらてんやわんやの大騒ぎとなった。
選び出される基準は全く不明。またそのスパンも完全に不規則。
都市の人口、規模、知名度等、てんでばらばらで、
時には沿岸に広がる大工業地帯に現れたかと思えば、長閑な農村に現れることもあり、
ダムを見たがったり、名所旧跡の沢山ある旧都を選んだり。
そういえば、一度『原子力発電所を見てみたい』という要望があり、
そのときには国全体がただならぬ雰囲気に包まれたこともあったりした。
もっとも彼女は少し離れたところから、如何にもおっかなびっくりといった様子で覗き込むだけで、
全く大事に至ることもなく、半ば拍子抜けしてしまったりもしたのであるが…。
そして今回、彼女からあった要望が『生の』オフィス街を見学したい、だったのである。
『絶対に仕事の邪魔をしないし危害も加えないよう細心の注意を払うので、
もし良ければ、指定する区域の方達に限ってはいつもと変わらずお仕事をしていて欲しい。』
一体そんなものにどんな魅力があるのやら、そして、そもそも本当にオフィス街を見たいのであれば、
こんな中途半端な政令指定都市なんかに来ないで、首都心にでも行けばいいものを。
そんな疑問点についてはさておくとして、彼女が何かを見たいと希望することはままあるものの、
そこに人間が絡むことは珍しく、しかもかなり接近する可能性が大きいということもあり、
指定を受けた区画内では、それぞれの会社の役員と役所の人間による大議論があった。
「今のところ彼女が人に危害を加えた前例は無いと思われる。だったら、応じてもいいのではないか?」
「いや、安全を保障する確固たるものは何一つないのだ。これまでの都市と同じく全避難を!」
「いやいや、むしろ要望を断り、彼女の機嫌を損ねることこそ何よりも避けるべき事態なのでは!?」
「いやいやいや…」
「いやいやいやいや…」
そうして最終的に出た結論は、従来通りの対応に倣って、例外なく全市民完全避難だったのである。
少子高齢化が進めばいずれは老人ホームとして活用できるように。
そんなコンセプトで建てられたエレベーター完備の小高い丘の上の大きな市立高校より、
彼らはいよいよ、自分達がつい先程まで働いてきた社屋が建ち並ぶ界隈へと足を踏み入れていくのを見る。
こうして離れていても、途方もなく大きいのがわかる。
何しろどれもこれも決して小さくはない、七、八階建ての自社ビルたちが、
残らず彼女の膝、紺色のソックスまでも届いていないのだから。
果たして、そんな彼女は注文とは異なるその無人のオフィス街に対して、一体どんな感想を抱くのだろうか。
やがて………やおら寝かせていた半身を持ち上げ、俯き加減に見せたその表情には
誰の目からも大きな落胆をはっきりと見て取ることが出来た。
しかしその一方で、しょんぼりとしつつも、どこか気丈に振舞うかのようなけなげさがあり、
何とも言い難い、言うなれば一種のもどかしさのような感覚を見ている者に抱かせた。
それは強いて言葉にするのならば『庇護欲』だろうか。
こう、よしよしと頭でもなでなでして、慰めてやりたい、みたいな。
…まぁ出来るわけも無いのだが。
と、同時に後悔と罪悪感の入り混じったものが、人々の胸をちくりと刺した。
ああ、やっぱり彼女の申し入れを聞いてあげれば良かったかな、と。
だからこそ、程無く彼女の顔から陰りが消え、元気よく立ち上がって、
お邪魔しましたと言わんばかりにぺこりと黙礼し、こちらへと向かって柔らかい笑顔を見せた時には、
誰からともなく謎の安堵感のようなものが湧き出てきて、辺りを満たしたのだった。
もっとも彼女が立ち去ったその後で、彼らはまるで大震災にでも見舞われたかのように、
尽くしっちゃかめっちゃかに散乱した己の職場の惨状を目の当たりにすることになる。
供給のストップした水と電気に動かなくなったエレベーター、
亀裂の走った柱や壁、砕けて撒き散らされたガラスに、
横倒しになった棚から溢れ出る書類、転がる植木鉢等、
たとえ留まっていたところで、到底従来どおりに仕事などできようはずもなかったこと、
それどころか、もしそんなことをしていようものなら、
身の危険すらあったかもしれないことを思い知るのだが。
けれども、彼女のくるくると変わる愛らしい様相を見てしまったその後では、
怒りや恐れなどといった純粋な負の感情は、どうにも抱き難く。
「たぶん…悪いコでは…無いんだろうけどねぇ…」
溜め息混じりに複雑な顔を見合わせ異口同音に呟いたのだった。
途方も無い巨躯と強力無比の絶対的な力を有しながら、
それを誇示するでも、振るうでも無く、その発想すら及びもつかず。
のんびり、おっとり、マイペースで、素直で純朴、真面目な好い娘。
でもほんの少しだけうっかりさんで、その上色んなことに好奇心旺盛なものだから、
悪気無く、ついつい、ちょくちょく都市規模で周囲を引っ掻き回しちゃったりして。
圧倒的規格外で超スケールの可愛い可愛い困ったさん。
果たしてそんな彼女の心を次に射止めてしまうのは、一体どこの何なのか。
それは井波さんのみぞ知ることである。
おしまい。