sizefetish-jp2cn-translated-text / 2.2 Text Prepared with Dict /[もやし] 後輩 [1730231594] JP.txt
AkiraChisaka's picture
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「次のニュースをお伝えします。未だ原因の明らかになっていないS市巨大災害から、今日でちょうど三か月が経ちました。政府は午前の会見で、専門家グループとの連携による新たな発生仮説を発表し……」
典型的な学生街の、典型的な定食屋。サークルの後輩と二人で席に着いて、注文を済ましてぼおっとしていたら、壁際のテレビからあの出来事のニュースが流れてきた。
「あっ、やってますよセンパイ」向かいの席に座っていた後輩が、わざとらしく身を乗り出す。「巨大災害、巨大災害のニュースですよ」
「……」僕は後輩の笑顔から逃れるように、用済みのメニュー表で顔を覆った。あまり彼女に表情を見られたくなかった。どんな顔をしているのか、自分でもよく分からなかったから。
急に視界が開いた。
「どうしたんですか、センパイ?」メニュー表は抜き取られて、代わりに僕の視界に映っていたのは彼女の笑顔だった。その敬語も、上目遣いも、全て見せかけだと分かっているはずなのに、それでも心のどこかで可愛いという感想を抱かずにはいられない、無垢で幼げな笑顔。「何か、思い出しちゃいましたか?」
「……そんなことは、ない」彼女からまた目を背けて、僕はテレビの画面を見つめた。
「続いて被害人数の最新情報です」ナレーターは明瞭な、しかし確かな陰鬱のこもった声で原稿を読み上げていた。「本日の発表で、死者の数は新たに8万人を超えました。依然として行方不明者の捜索活動は続いており、市庁舎には連日残された家族が情報を求めて訪れ……」
「まだ大変そうですねえ……ふふ」後輩の声が割って入ったが、その笑い声は隠しきれない笑いを含んでいた。「ふふ、ふふふ……」
楽しげな笑い。何万人規模で人命の失われた出来事に対して、普通の人がする反応ではない。他のテーブルに座った人たちが見れば、その不謹慎な行動は顰蹙を買うだろう。事実、一緒に座っているだけの僕でさえ、周囲から向けられる視線の冷たさを感じていた。
黙って立ち上がって、テレビの下に近づいてチャンネルを変えた。別の報道番組が流れだした。例の災害について。さらに二三回ボタンを操作して、ようやく退屈なメロドラマを見つけ、そのままテレビの前を離れた。店員が怪訝そうな顔で見てきたが、そんなことはどうでもよかった。席に戻ると、後輩は顔を机に突っ伏して、声を必死に押し殺しながら笑っていた。
「ふふ、ふひ、ひーっ……チャンネル、変えちゃってよかったんですか?店員さん、すごく不思議そうにしてましたよ?」
「きっと許してくれるさ。だって僕が、ほら……」僕は返す。「あの災害の被害者だった、って言えば」
話を傍聞きしていた店員が、気まずそうに目を背けていくのを感じた。周囲の視線も。わざとらしく会話したり、新聞に目を落としたり、そういうとこだ。
「あの災害の被害者、ねえ。……ふふ」後輩だけは何の気負いもしていないのか、むしろ今の言葉でさらに機嫌を上げたのか、僕を執拗に追い立ててくる。「というより、「私」の被害者ですよねえ」
「……」
怒りの感情は無かった。というか、もうこの気持ちには慣れていた。目の前に座っている後輩は、少し生意気なところもあるけど、それでもはたから見れば快活で可憐な少女に見えただろう。しかし、僕は知っていた。彼女は普通の少女ではないこと、何があっても逆らってはいけないこと、そして何より、これまで世界に存在してきた中でもっとも残酷で残虐な力を持つ女の子だということを。なぜって、彼女はあの災害を引き起こして数万人の命を消し去った張本人だったのだから。
あの日、あの都市にいた人に、あのとき何が起こったのか、と尋ねてみてほしい。きっとほとんどの人は、何も起こらなかった、あるいは何か起こったのだが、それが何だったのかは覚えていない、と言うだろう。何人かはスマホの画面を見せてくるかもしれない。ノイズだらけの画像。それを必死に指差しながら、これが僕の経験したことの証拠だ、とか訴えかけてくるだろう。あるいは正気を失って、支離滅裂なことを言っているか、あるいは物言わぬ目で瓦礫の下に埋もれているだろう。あるいは全ての真実を知りながら、もう口を堅く閉ざして誰にも言わなくなっているかもしれない。ちょうど今の僕みたいに。
S市は70万の人口を抱える一地方都市だが、そのうち被害に合った区域の人口は20万程度だ。そして今回の死者と、おそらく永久に帰ってこないであろう行方不明者、その数合わせて15万。地域の4人に3人が死ぬ災害というのは、ニュースが散々伝えているように、歴史上でも類を見ない大惨事だ。しかしもっと奇天烈で不思議なことは、それほどの大災害なのに、数ヶ月経ったその原因も分からず、数少ない生存者もあの日の記憶を失っているということだ。ただ一人、僕を除いて。
確かに覚えている。あれは実家に僕が帰省して、ついでに長い付き合いだった恋人のエリも連れてきちゃって、かっこつけて駅前のタワーホテルなんか借りて夕方からイチャイチャしていたときのことだった。
断続的な地鳴りと縦揺れ、けたたましく鳴る非常サイレン、そこかしこで上がる人間たちの悲鳴。何が起こっているのか、訝しみつつカーテンを開けた僕たちに見えたのは、とても一目には信じられない光景だった。
白い袖、紺色の襟、胸元には赤いリボン、華奢な腰には紺色のミニスカート。なんてことはない、ありがちな女子高の制服に身を包んだ、可愛らしく健康そうな少女だった。しかし何よりも異常だったのは、その見た目ではなく大きさ。彼女の足は一軒家を踏み潰しても有り余るくらい大きく、彼女の背丈は普通のビルが腰に届かないほどに高かったのだ。
高層ホテルの大きな窓から、僕たちは街中のいたる所に破壊の痕跡を見た。彼女の圧倒的な質量をまともに受け、ぺしゃんこのスクラップになった乗用車。その周りに広がる、かつて人だったであろうグチャグチャの肉塊と油。そして街を覆い尽くすかのように広がる火災の煙と、少女の履く巨大なローファーの形をしたグロテスクな足跡。彼女が歩く度に引き起こされた悲鳴と断末魔、そして直接彼女が足を下ろすよりも前に、二次的な火災やパニックによって死んでいった沢山の人々。
目を背けたくなるような惨状なのに、僕の目はそれらを捉えて離すことができなかった。彼女はにやにや笑いながらオフィスビル街に近づき、足を高く掲げる。道一本よりも大きな学校指定のローファーがビルの上に影を落とし、中から急いで出てきた人たちをあざ笑い、そして迷うことなく足を踏み降ろした。短い断末魔は彼女の笑い声に全てかき消され、再び足が上がればそこにはぺしゃんこの瓦礫と赤黒い血の跡だけが残っている。
「ねえ」エリの声で、僕はようやく我に戻った。彼女の顔を見る。不安と恐怖の入り混じった顔で僕の目を見つめる。「早く。逃げないと」
「そうだ」僕は思い出して、急いで窓から目を背けた。部屋の外へ出る扉。僕がそこに近づき、引き戸を開けようとした瞬間、さっきよりさらに強い縦揺れが起きた。天井や壁からもうもうと上がり、視界を塞ぐホコリ。僕には知る由もなかったが、これは巨大な少女が気まぐれでジャンプしたときのものだったらしい。街の数区画離れたところで彼女の起こしたその何気ない行動は街中に大災害を引き起こし、その衝撃は数十メートル離れた僕たちにまで最悪の結果を招いた。
「……開かない」辛うじて僕に言えたのは、その言葉だけだった。「開かない。なんで。どうして……」
もう一度扉を強く引き、あるいは押してみる。強く扉を叩き、ガンガンと音を立て、プライドなんかかなぐり捨てて全身でドアノブを引く。ダメだった。ビクともしない。原因は明らかだった。あの少女の起こした縦揺れで、建物ごとドアの枠が歪んでしまっていたのだ。
「嘘だ。嘘だ……」窓の外を見る。もうもうと立ち込める煙と土埃の中で、巨大な少女は、次の場所を探してきょろきょろと目を動かしていた。もう大きな建物はあらかた崩し終えてしまったのか、煙と悲鳴の上がる市街地を覗き回る。そして、その巨大な目が僕をじっと捉えた。違う。僕ではない。巨大な彼女の瞳が捉えるには、僕というビルの中の存在はあまりに小さい。正確には、彼女の瞳は僕の今閉じ込められているタワーホテルを見つめていた。まだなぎ倒されずに残っている中でいえば、それは今この都市で一番高い建物だったのだ。
ニッ、と彼女は意地悪な笑みを浮かべると、僕たちのいるホテルに近づいていった。足元で幾つかの低層ビルや通行人が踏み潰されていたが、そんなことに興味はないようだった。何十メートルもの高さから街を見渡す彼女にも、息を詰めてガラス越しにその姿を見つめる僕たちにも。体を揺らす低音が響き、また一歩分彼女がホテルに近づくごとに、彼女の顔は大きくなっていく。数回の縦揺れのあと、僕たちのホテルの窓からは、彼女の焦茶色の瞳が映るだけになっていた。その目はあまりにも大きく近く、明るい虹彩の中まで覗くことができた。まばたきのたびに風の鳴く音がする。
「私より背が高いビルなんて、ナマイキですね♪」
その日初めて聞いた女の声は、建物の柱を揺らし床を揺らし、彼女が楽しげに吸い込んだ鼻息でさえ僕たちの全身を揺らした。少しだけ助走をつけて、これから何が起こるのか考えようとするその前に、彼女の巨大な頬が一面のガラスを突き破った。
巨大な衝撃、鋭い悲鳴、勢いをつけて転がり落ちていく重力。床も壁も区別なく、土台ごと崩された建物は為す術もなく空中分解していき、僕もバラバラの建物と共に宙を舞って落ちていく、その最後に再び巨大な声を聞いた。
「えへへ、女の子の体当たりに負けちゃうなんて、この建物も弱すぎ、です♪」
言うまでも無く、そのS市を破壊し尽くした巨大な少女、というのが今の後輩のことだった。あの事件から数ヶ月、遠く離れた東京の大学には何事も無かったかのように沢山の新入生が入ってきたが、その中にあの残酷な顔が紛れ込んでいた。
後輩がどんな力を持っているのか、僕にはとても想像がつかない。自分の身体を大きくしたり、街を破壊して自分の楽しみのためだけに何万人も殺したり、それでいて全く足がつかないように僅かに生き残った人々の記憶まで失わせてしまったり。原理も、目的も分からない。尋ねたこともない。でも、もっと不思議なのは僕のほうなのかもしれない。あの日少女の体当たりを受けて崩落したホテルにいた中で、僕は唯一の生き残りだった。上階層は地上への落下の衝撃で死に、下層は直接突っ込んできた彼女の肢体と、上からの瓦礫の両方を被って死んだ。瓦礫の中でわずかに生き残っていた人たちも、数秒後に落ちてきた彼女の全身の下敷きになって、構造の1つも残らないくらいぺしゃんこにされてしまったのだ。その中で僕は、軽い骨折と混乱はあったものの、あの地獄のような出来事の中でどうにか一命を取り留め、しかも記憶だって少しも失わずにこうして生きているのだ。しかも奇跡を重ねるかのように、僕の通っていた大学にはこうして彼女が入学し、僕が入っているサークルに彼女も入会し、いまやこうして先輩後輩の関係を保っている。もちろんその関係は全然典型的じゃないし、僕にとっては地獄の続きでしかない。あの日エリは死んだ。家族も死んだ。恋人も肉親も失って、その原因は全て目の前の少女のちょっとした嗜虐心だったのだ。それを分からないのか、いや、分かっているからなのか。彼女は繰り返しあの日のことを僕に思い出させては、その破壊がいかに無意味で気まぐれなものだったか、ニタニタと僕の表情を覗きながら笑っているのだった。
「遅いですよ、センパイ」
会計を終わらせて外に出ると、彼女がガラス扉の前で待っていた。ぶかぶかの灰色のコートを着て、あの意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「ごちそうさまです♪」
「……」
彼女の笑顔から目を落として、僕はサークルの部室へと戻る道に背を向けた。後輩の笑い声が背中にかかった。
「先輩は本当にいい人ですよね」歩きながら、後輩の言葉を聞いた。「私、センパイの家族全員と恋人さんをうっかり殺しちゃったのに、こうやって私の話聞いてくれるし、なんなら夜ご飯だっておごってくれちゃうんですもん」
僕は振り返らなかった。今自分がどうしてこんなことをしているのか、本当に分からなかった。
「人間の心って本当に暖かいですよねえ、体はあんなに小さくて潰しやすいのに」彼女は重ねて言葉をかける。「やっぱり他人は大切にしなきゃですねえ」
「……」立ち止まったら何かに負けてしまう気がした。知らず知らずのうちに歩く速さが上がった。
「さっきの定食屋、おいしかったですよね」
「……」
「でも、センパイのご両親には敵わないですよね……チキンカツは手の中で泣き叫んだり、口の中で暴れまわったりしてくれないですから」
「……」
「これは初めて言うんですけど。センパイのホテルに行く前に、地元の中学校を潰したんですよ。センパイのご両親、中学校の先生だったでしょう?それでね、年下の中学生たちを見てたらつい美味しそうに感じちゃって……運動してお腹も減ってたし、なんだか制服も綺麗で衛生的だし、一口、つい手が伸びちゃったんですよねえ」
「……」
「もちろん中学生もおいしかったですよ。噛んでも肉が柔らかくて甘いし、死に際の悲鳴は本当に気持ちいいし。飲み込むのも喉がこそばゆくて気持ちいいです。でもなんか、中学生は甘くてすぐ飽きちゃって……それで、先生をいっぱい食べたんですよ。おいしかったです」
「……」
「普段からいい学校だったんでしょうね。皆必死に生徒を守ろうとして、剥き出しになった校舎でも懸命に声を張って、私がつまんだ生徒の足を引っ張って守ろうとまでしてくれちゃって」
「……」
「それが逆に食べやすくて便利なもんで、一口食べてみたら、先生っておいしかったんです。ちょっと汚っぽいから、あんまり禿げてる人とかは捨てちゃいましたけど……」
「……」
「気づいた時には職員もすっからかんでしたよ、生徒と一緒に食べつくしちゃいましたね。もちろん全部食べたら私も太っちゃうんで、残りはお尻で潰したりして方付けちゃいましたけど……今思うと勿体なかったなあ。ちゃんと食べとけばよかった……」
「……」
「まあ、太らなくて良かったですよね。せいぜい百人くらいですから、全部一日くらいの栄養にはなりましたけど、翌朝にはすっかりお腹ペコペコです。食べられてくれた皆に感謝です。胃の中で聞く贈る言葉って、きっと感動的だったんでしょうねえ」
「……」
「センパイ?」
膝から崩れ落ちていた。
「泣いちゃったんですか、ねえ、センパイ、泣いちゃったんですか?」
泣いてない。そう言おうとして、喉から漏れる声が言葉にならないことに気づいた。数回の嗚咽。必死に涙をかき消そうと瞼を覆っていると、背後から笑い声が聞こえた。それに、暖かい感触。後輩の暖かい手が、僕の頭を撫でてくれていた。僕の家族や恋人、その他何万人の命を奪った残酷な手。そんなことは分かっているのに、そう分かっていても、その肌は、暖かくて柔らかい、少女の手だ。
「ねえ、センパイ」耳元に息が吹きかかる。「今のセンパイ、すっごく可愛いですよ」
黙っている。もう何度も聞いた話で、とうに聞き飽きているはずなのに、どうしてか涙が抑えられなくなってしまう。
「実は私、我慢してたんです。なんだかんだ、ずっと」
遠くからクラクションが聞こえる。
「でも、センパイ。そんなセンパイを見てたら……」
急ブレーキのタイヤがこすれる音。
「もう、抑えられそうにないです」
瞼を開ける。点滅する街灯。アスファルトに映る後輩の影は、こんなにも大きかっただろうか?
「始めましょうセンパイ。二回戦開始、です♪」
***
記憶の白濁、視界の明転。モノの輪郭が定まってくると共に、その違和感は切迫する恐怖感に変わった。
「高い……!」
目の前に広がる、眩く光る都市の夜景。その光の明滅に思わず見とれそうになった僕を、冷たい夜の風が突き刺した。ついで身体を包み込む、暖かい柔肌の感触。
「あ、気づきましたか、センパイ」
上方から聞こえるその楽しそうな声は、間違えようのない後輩のものだった。
「この姿になるの、この世界では二度目ですね。どうです?もう慣れました?」
「慣れるって……そんな……また大きく……」
「はい♪今回も身長二百メートル、大きくなった後輩ちゃんです♪どうです、可愛いでしょう?」
上を見上げた。直下からの目線で分かりづらかったけれども、視界を埋め尽くすほど大きなそれは確かに後輩の顔だった。正面を見ると、おぼろげに白やら黄色の光が灯っていて……これはきっと僕たちのいる都市の街並みだ。
「——そんな、ここって……」
「はい、私の襟元、ちょうど胸のすぐ上です♪どうですセンパイ、嬉しいですか、自分の何倍もおっきな胸が見れちゃって♪」
嬉しくなんかない。そう言い返そうとしたのに、言葉はすぐには出てこなかった。というよりもさっきから、夜の光と風を浴びてきらめく後輩の、その巨大な横顔と体、その全てがいつもより光ってきれいに見えた。これほど大きく見えるのに、その淡い肌にはいかなる傷も乱れもなく、均整な髪は時折吹く秋風を受けてたなびく。こんな気持ちなんて認めたくないのに、非現実的なほど大きい彼女の身体は、……とてもきれいだ。
「……最悪だ」どうにか呟いた。
「素直じゃないですねえ」後輩が息を吸うたび、あるいは些細なことで笑うたび、その身体の振動は鳴動となって僕の大地を揺らした。足元を見ると、僕は灰色のセーターの布地の上にいることが分かった。体温の温かみを帯びたそれは、彼女が呼吸するたびにゆっくりと大きく動く。何かの拍子で落ちてしまうのではないかと感じて、僕は反射的にセーターの布地を両手でつかんだ。
「大丈夫ですよ、センパイ」僕の思考を読んだかのように、後輩が話す。また僕を支える大きな身体が揺れる。「センパイは何が起きたって、どんな抵抗をしたって、そこからは逃げられないんですから。ちょっとした魔法です♪」
「それじゃ、磔に……」
「もう、被害妄想はやめてください」ふふ、という笑い声が聞こえる。「センパイが落ちないように特別にしてあげてるんです。今すぐ解いて落としちゃってもいいんですよ?」
やめてくれ、とつぶやいた。それで伝わったようだ。後輩が呼吸するたび、声を出すたび、笑うたび、その些細な動きは僕にとっての全てを揺らした。それに比べて、僕の声はどうしてこんなに小さく、弱いのだろうか。
「魔法はね、もう一つあるんです」後輩は言った。「私の大好きな、ちょっと残酷な魔法。ほら、目を閉じて……」
促すままに閉じると、まずは耳元の大騒音で呼び覚まされた。次いで感じるのは、なつかしい地面の感触と、そこら中で響く怒号、逃げ惑う人、車。
「気づきましたか?」声はさっきよりも遠く、高く、上方から聞こえる。上を見上げると、そこには巨大な脚が二対立っていた。さらに首を上げて、巨大な胸が映って、そのさらに上にようやくあの可愛らしい顔を認めることができた。
「そんな、どうして……僕は……」周囲の叫び声のトーンがさらに上がった。暗くなる夜の空。気づけば視界がスニーカーの白い靴底に覆われていた。さっきの定食屋でも履いていたはずの、なんてことのない普通のスニーカー。それが今何百倍もの大きさとなって上空に浮かび、僕たち何十人の頭上のすべてを覆っている。
頭上に目を向けていた僕の背中に、誰かがぶつかる衝撃を感じた。原因は分かった。巨大な足から少しでも遠ざかろうと、さっきまで道路や周辺の店の上にいた人々がなりふり構わず全力で逃げていたのだ。至るところでパニックが引き起こされ、今も近づきつつある靴底から誰もかもが逃げようとしていた。誰かの名前を叫んでいる声がする。人をはねて停止する乗用車。騒ぎを聞いて急いで店から出てくる人々。その全てに巨大な少女の靴裏が迫り、ゆっくりと僕達の世界は暗く、暗くなっていく。
ダン。全ての悲鳴を遮って、巨大な衝撃が地面を揺らし、いくつもの断末魔が響いた。ほとんどの人は即死だった。数百メートルの巨大なスニーカーは、踏み下ろされるだけで何百もの命を潰し去るのに十分だった。しかし即死できたのは、全体から見れば幸運だった部類に入るだろう。なぜか。僕の全身に染みる、強烈な痛覚がその証拠だった。知らず知らずのうちに叫んでいた。視界は真っ暗だったが、同時に大きな喪失感があった。原因はすぐに分かった。僕の身体は後輩の靴底の下敷きになっていてはずなのに、靴があまりにも大きく、彼女の動きがあまりにも速かったために、靴裏が着地するときの衝撃だけで僕は吹き飛ばされ、その結果つま先のふち、彼女の足の指があるはずの部分に腰より下だけが巻き込まれ、逆に上半身はなんとか彼女の靴裏から逃れたのだ。彼女のスニーカーに巻き込まれたはずの両足、そこにはもう具体的な感覚はなくて、妙に寒々しい感触だけが残っていた。少女の足裏から革一つを隔てて、確かに進行していく出血、死。その死さえ少女の靴の凹凸一つに弄ばれて、こうして緩慢な苦痛を強いられていく。次第に頭が重くなっていく。目はもう何も見ていない。消え行く思考の元、僕は何重にも「なぜ」を重ねて終わりを待っていた——。
「ちょっと刺激が強すぎたかな。でもま、これで分かったでしょ?」風の冷たさで気がついた。またあの巨大な襟元に収まっていた。上を見上げた。後輩の顔が見下ろしていた。
「今日はたっぷり楽しませてくださいね。センパイ♪」
彼女の体温を感じていた。心臓がどくどくと動いていた。
「スゴいことしちゃいましょうか?」頭上から声がした。声がするたびに世界のすべてが震えた。はるか足元にいる小人たちも。
「私、踏みつぶすのって本当に好きなんです」言いながら、彼女は手を使うことなくスニーカーを脱いだ。かかとを踏んでくるぶしだけを晒してから、ぶんぶん足先を振り回して脱いでいく。下品な仕草だ。
「よっ、と」ついに靴は彼女の足の遠心力に負けて、少し離れた住宅街へと落ちていった。当然そこには人がいたはずだ。ぽすっ、という拍子抜けなくらい軽い音がした。僕にはそう聞こえた。でも真下にいた人にとってはそうじゃないはずだ。何人かの姿が巻き込まれて見えなくなったように見えた。
「ふふ、大当たり」嬉しそうに飛び跳ねる声が聞こえる。それから、もう片方の踝もぶんぶん振り回して、
白いスニーカーは異常な速さでどこかへと飛んで行った。遠くのビルの一つに当たって、ガラスが悲鳴を上げながら崩れていった。
「死ぬ直前に見るものが女子大生のスニーカーって、なかなか良い最期ですよねえ」嘲笑う声が聞こえる。「でも、私はこっちのほうが好きかな。ねえ?」
彼女は高く足を掲げた。靴下を脱いで裸足になっていた。生まれたままの柔らかく白い肌。傷一つない綺麗な足が、小人たちの悲鳴がするアスファルトに下ろされていく。
「冷たーい……」風に乗って運ばれる、彼女の呟き。薄ら笑いを浮かべたまま、腰が抜けたまま動けない小人たちの下へ再び足を運ぶ。迫ってくる足に、悲鳴を上げて必死に嘆願する人々。
「ぷちっ」人々の残酷な断末魔は、彼女の少女らしい声にかき消された。滑らかな足が通過した後には、一つの命も残ってはいなかった。
「私、裸足って好きです。こっちのほうが、人間がもがいたりつぶれたりするのがはっきり分かる気がする……」
まるでバレエの踊りのように、彼女はその足をミニチュアの道路の上で滑らせていく。通行人、車、そこにあった全て関係なく、通ったあとには赤い血痕だけが残っている。
「歩きましょうか」
そう言って、彼女は軽快なステップを踏んで歩き始めた。その一歩一歩に、確実に人や建物が巻き込まれるよう狙いを定めながら。クラクション、悲鳴、懇願の声、すべてが彼女の鼻歌にかき消された。
「♪」
メロディのおぼつかない鼻歌と共に、また次の数人を足の下で肉塊へと変える。少しずつ赤く汚れていく足を、汚れが取れることを期待して、彼女は適当な公園の木にこすりつけた。結果は失敗、木は重みに耐えきれずにあっさりと根元から折れた。あっちゃー、と笑いながら、彼女は八つ当たりのようにその公園に避難していた人を踏みつぶしていった。わずか数十秒の間に、その場にいた数十人は彼女の足裏で肉塊に変わっていた。熟れすぎて潰れた柿のようだ。
「あーあ、これでまた汚れちゃいましたね……」
幻滅したような声をあげて、彼女は再び歩き始めた。
小さな建物の密集する学生街を簡単に潰し終えて、近くの公園や神社もなぎ倒して、それから数歩で彼女が辿り着いたのは僕たちの大学だった。普段は広々としているキャンパスも、この高さの視界からだとミニチュアのように小さく見える。正門には逃げようとしている人々がいた。友達か何かを待っているのだろう。次の瞬間には、巨大な素足が彼らを踏み潰していた。くす。悲鳴は上空からの小さな笑いにのみ込まれた。
「用もないのに学校行くのって、なんだか楽しいですよねえ……」後輩は笑うと、さらに校門の奥へと進んでいった。
「見てくださいよ。まだ明るいです」彼女が向かったのは最近建ったガラス張りの校舎だった。その高さは十数階建てで、入学パンフレットなんかにも載っている自慢の建物だったが、こうやって比べると、その高さはちょうど彼女の胸元にも及ばないくらいだ。夜間の授業だろうか、確かに校舎はまだまだ明るくて、中には沢山の人影が見えている。彼女は少しかがみ込んで、これから壊す建物の中を見た。最上階の誰かと目が合った。目を見開いて、怯え切った表情が見えた。
「ふふ」大きな声が響いた。「さよなら、です♪」
後輩はビルを両腕で挟み込むと、自分の身体と同じくらいのガラスの壁面を抱き込んでいった。まるで恋人にじゃれつくかのように、わずかな上下運動を伴いながら、決して焦ることなく、そのビルにかける力をだんだんと強くしていく。徐々に、徐々に。少し前かがみになって、巨大な目でガラスを覗き込んで、ビルの中に取り残された可哀そうな小人さんたちを見る。ぐらつく建物の中で、自分の命を奪う巨大な少女の顔に見つめられて、彼らは一体どういう気持ちなのだろう?ちょっと可愛く見えるように、白い頬をガラスに張り付ければ、ぺたりとその跡が残る。ぎしり、ぎしりと、建物をさらに強く抱きしめていく。
パリン、という甲高い音が鳴って、一枚のガラスが割れた。そこからは一瞬だった。自らを締め上げる巨大な質量にかなわず、むき出しの校舎はあっさりと土台から崩れ落ちた。まるで積み木のジェンガのように。彼女の腕の中で、ガラス、鉄、ケーブル、机、さっきまでは授業中の校舎だった破片たちが崩れ落ちていった。そして、人間も。何の支えもなく、何の足場もなく、いきなり床の無くなった可哀そうな人間たちが瓦礫の中を落ちていった。
「あは♪」彼女は短く笑った。「皆さんのことが大好きだったから、ちょっとハグしてあげようと思っただけなんですけどねえ」
弱すぎ。そうつぶやいて、彼女は目の前の瓦礫に背を向けた。周りを見渡す。さっき壊した建物は、このキャンパスで一番背の高い建物だった。あとは腰の高さか、あるいは膝にも及ばないほど低く、のっぺりとした建物ばかりだ。はあ、と彼女はため息をつきながら、手始めに一つの校舎を踏みつぶした。金属が上げたバリバリという悲鳴は、すぐに彼女の声にかき消される。
「つまんないですねえ。今ので死んだ人もいるんでしょうけど、中が見えなくて地味だし……」
続けて二三の建物を潰し、何百という人間の命を奪ったあと、彼女はふいにぶるりと震えた。
「寒ーい……っていうか、あ」それまで浮かべていたつまらなさそうな顔が、ふいに驚きと恥ずかしさの混じった赤面へと変わった。「あはは……」
それまで僕のことを忘れていたかのように、残虐な破壊と殺戮を繰り広げていた彼女が、急に僕の顔を見つめてくる。僕の視界のはるか上、星空を背景に浮かぶ彼女の赤い顔。僕はまだ魔法にかけられていた。さっき死の疑似体験をさせられたばかりなのに、僕の全てを奪った相手なのに、こんなに巨大で、こんなに残酷なのに、その顔はどうしてこんなに……こんなに綺麗なのだろう。
「何考えてるんですか、センパイ……」
赤面したまま、彼女はぼそりと言った。
「でも、私の考えてることのほうがきっと変ですね。ねえセンパイ、こんなこと思いついちゃって申し訳ないんですけど」
見上げた彼女の首元に、一筋の汗が浮かんでいた。
「今ね、その、……もよおしちゃって。それで、思ったんです」
汗は地面へと落ちた。
「この大きさでおしっこしたら、どうなっちゃうんだろう、って」
僕は建物の中にいた。明るく、静かな空間。この場所には見覚えがある。大学の図書館だ。
どしん。
聞き覚えのある重低音が、この建物に近づいていた。後輩だ。またあの不思議な魔法で、僕を胸元から地上のどこかへと転移させたのだろう。だとすれば、待っている結論は一つだ。それは、彼女の破壊に巻き込まれた、死。
彼女に踏みつぶされて下半身が無くなったときの、あの生々しい苦痛を思い出す。彼女の靴裏に巻き込まれて、いとも簡単に僕はその命を奪われた。死を簡単に疑似体験させる、残酷な魔法。さっき上空で破壊劇を見ていたときと打って変わって、残酷な恐怖が僕の全身を襲う。彼女がどんなに可愛く見えたからって、死の苦痛は何よりも大きい。もう嫌だ。もう二度と、あんな目には合いたくない。
もう一度地面がズシリと揺れた。
「センパ~イ、いますか~?」建物ごと震えていた。後輩の声だ。
「私ね、試験期間中に図書館行って、それでよく待たされて。いつかやってみたいと思ったんですけど……」
数秒遅れて、巨大な衝撃。けたたましく鳴き叫ぶ金属音。理由はすぐに分かった。
「えへへ、思ったより簡単に空きましたね♪」
まるで鍋のフタを外すかのように、彼女は片手で簡単に図書館の分厚い天井を剥がし取り、その中身を覗き込んだ。図書館で机に向かっていた、普通の学生生活を送っていたはずの百数十人は何を思ったのだろう。異常な事態に巻き込まれて、風の冷たさに気がついて、ふと上を見上げたら、そこには月光を背に巨大な女の子が微笑んでいる。その声と笑みは……やっぱりあの残虐さを湛えていた。
「みなさん、こんにちは♪勉強中、お邪魔しちゃってごめんなさいね♪」
くすくすと後輩は笑った。眉がかわいらしくぱちくりと動いていた。
「それで、あの、図書館に少し「用」があるんですけど……」
自分の言葉に笑いながら、後輩は少しずつスカートを下ろしていった。星の光を背に浴びて、その動きはなめらかで、ゆっくりで、どこか妖艶だった。スカートを下ろしきって、ふぁさりと背の低い別の建物にかけた。そんなことは、この小さな建物の中の人たちにはわからなかったが。
僕はその小さな建物の中で、後輩がゆっくりとスカートを脱いでいくのを見た。周りの人々も上を見て、ぽかりと口を開けていた。妙な静寂だった。引き剥がされた屋上から風の音がした。
「えへへ……」
スカートを全て下ろしきったあとで、僕たちは上空に浮かぶ巨大なパンツを見た。質の悪い冗談のようだった。本来空があるはずの頭上は、白いまっさらなパンツに覆われていて、そのレースの縫い目1つですら月よりもはるかに大きく感じる。頭上で繰り広げられるショーはそれだけに留まらず、彼女の巨大な指はパンツの紐の一つを掴むと、ゆっくり、ゆっくりとその複雑な縫い目をほどいていった。小さな人々の目線、その1つ1つを感じながら、まるで僕たちを焦らしているかのように。
理解のできない状況に追い込まれると、僕たちは何をすべきか分からなくなる。ただ皆がしていたのは一つ、上を見上げること。自分たちと星空を隔てるかのように、巨大な影を落とす彼女のパンツが、ゆっくりとその上空から剥がれ落ちていくのを見た。その滑らかな足がわずかでも動くと、月の光は唐突に遮られる。しばらくの暗闇のあと、再び月が照らし出したのは、紛れもない彼女の性器だった。淡い桃色の唇。わずかに生え揃った縮れ毛が、風を受けてまるで森のようにさらさらと揺れ、そのすぐ下の女性器は確かに遠くにあるはずなのに、月の光はその淫靡な襞や粘膜の1つ1つにまで詳細に照らし出した。ふふ。はるか上空から、小さく漏れた恥ずかしげな笑い声は、しかし僕たちの耳にもしっかりと届いた。ダンスを踊るかのような動きで、彼女の体がゆっくりとしゃがみ込んでいく。彼女の可愛らしい目も、今は小さく閉じている。自分の足元に閉じ込められた人たちに何が見えているのか、きっと想像に耽っているのだろう。
静寂を破るかのように、甲高い悲鳴が聞こえた。呆然と上を見上げていた生徒たちの中から、一人の女子が大声を出して逃げ出したのだ。それからは一瞬だった。一つしか無い建物の出口を目指して、僕たちは階段を蜘蛛の子のように駆け下っていった。生き残るための戦いだ。誰にも遠慮はなかった。それなのに、出口を見て僕たちは絶望した。自動ドア二枚分の狭い出口から見えるのは、ガラス越しにぴったりと張り付く彼女の巨大な足の壁だけだったからだ。
ふう、という声が聞こえた。それは上空からだった。これまで聞いたことのない、彼女が何かを緩める声だった。
天井の無くなった吹き抜けで、僕たちは最初の一滴が落ちるのを見た。あの巨大な桃色の割れ筋から。認めたくない。こんなに屈辱的なことなんかない。それでも、僕たちは見てしまった。彼女の桜色の巨大な性器から、薄い半透明の液体が迸り出ていくのを。この匂いには覚えがあった。どこか懐かしい、それでいて不快な匂い……これは彼女のおしっこだ。
上空を見た。後輩は、決まりが悪そうに目を横にそらしながら、それでも確かに笑っていた。さっきまで僕たちに見せていた作り笑いとは違う、本当の快感から来る嗜虐的な笑顔だ。その笑みの下で、彼女は自らの秘部を二本の指で開いていた。人間の大きさの何倍もある、そのピンク色の性器から、妖しい輝きを放つ飛沫が滴り落ちていく。出口を求めて一階に下りていた人々の、行き場を失って絶望している人々の上に。彼女の膀胱から押し出される筋肉の力と、単純な何十メートルの落差の分の重力が合わさって、それは何かが爆発するかのような衝撃だった。直撃を受けた学生たちは溺れることすらできなかった。単純に、彼女のおしっこから途方も無い衝撃を受けて、地面に叩きつけられるようにして彼らは気を失っていく。床に直撃したしずくはそのまま床に広がって、やがて床中を余さず水浸しにしていく。
おしっこのしずくは細い流れになって、やがて滝のような大きな流れになった。黄色い、生暖かい滝。後輩はもはや性器を手で抑えることもせず、一本の水鉄砲のように注ぐ尿の行き先を、興味深そうな顔で見つめている。図書館は既に浸水して、びちゃびちゃと流れる液体のうねりが膝のあたりまで流れ込んできていた。本棚に収められていた貴重な蔵書の数々まで、温かい尿の流れに乗って黄色い海の上を漂い始める。
おしっこの流れ込む巨大な轟音にまぎれて、人々の悲鳴と恐怖の声が聞こえた。それもそのはずだ。最初に雫に当たった不幸な何人かは、既に尿の海の中で顔を下にして沈んでいた。ごぽごぽと泡が立っていた。そこら中で人々が押しのけ合い、なんとか海の上へ上がる手段を探している。
尿の勢いは止まること無く、ごうごうと流れ込み続けていた。鼓膜がつんざこけるほどの轟音だった。水位は1階も2階も埋め尽くし、取り残された人々が息を吸おうとするたびに、新しく注ぎ込まれる尿のしずくが口に入った。辛うじて水面に出ていた背の高い本棚に、一人の器用な男が決死の覚悟でその上に登る。その近くにも溺れかけている生徒がいた。彼はその生徒の手を取り、荒れ狂う海から引き上げようと懸命に声を上げたが、その懸命な叫びも巨大なくすくす笑いに取って代わられた。
「♪」
彼がいたその場所に、黄色い一筋の滝が注ぎ込まれていた。天からの選別のようだった。わずか数秒のことだったが、次の瞬間本棚は斜めに傾き、氷山のように黄色い海の中へと沈んでいた。半透明な泡の立つ海の中で、もうどこにも男の姿は見え無かったが、念の為彼女は彼のいたたりにおしっこを注ぎ続けた。確実に、その男が自分の尿の中で溺死するのを見届けるように。
ぶるりと最後にもう一度震えてから、後輩は自分の足元を覗き込んだ。黄色い海の中にぽつりぽつりと人々が浮かんでいる。彼らはただ浮いているのではなく、必死にこの海の中で生き残ろうと懸命に泳いでいるのだった。彼女が溜め込みすぎていたのか、あるいはこの図書館が小さすぎたのか、おしっこは足元の建物のすべてを埋め尽くしてしまい、わずかに溢れた液体が窓や換気扇の割れ目から勢いよく注ぎ出ていた。このまま数十分ほうっておけば、水面に出れた小人たちは生き残ってしまうのかもしれない。
彼らの視線に気づいて、後輩は小さなウインクを一度だけすると、この図書館の天井だった一枚の板に手をかけた。それを元通り、図書館の建物全体を覆うように差し戻していく。それが済むと、自分が作り出したおしっこの海は隠れて見えなくなっていた。
少しだけ迷ってから、彼女は右足を図書館の上に大きく掲げた。天井は清潔に見えた。それから彼女は体重を込めて、小さな図書館の建物を天井ごと踏み抜いた。
思っていた通り、中に閉じ込められていた彼女のおしっこが中から噴き出てきた。それを予想して、少女はすぐに後退りしていたが、それでも足の付け根に冷たい感触があった。
汚れちゃった。
反射的に呟いてから、彼女はその辺の道路で汚れを落として大学を出た。わずか数歩の距離だった。それだけで、彼女の足についたおしっこはもう乾ききっていた。彼女が残していった図書館の残骸では、相変わらず生暖かいおしっこがあらゆる割れ目から吹き出てはいたが、中から出てくる人の姿はなかった。
***
後輩は歩いていく。大学の近くの市街地を、家も車も関係なく踏み潰して進んでいく。その一歩ごとに何かが下敷きになり、建物の崩れる音や人々の悲鳴が聞こえるが、はるか頭上にある彼女の耳には届いていないようだった。今日だけで何百人、あるいは何千人と踏み潰して、それに前は別のところでも大暴れしていたんだから、きっと彼女にとってはもはや慣れ親しんだ感覚なのだろう。それは彼女の大破壊をその胸元から見ている小さな僕も同じで、一歩ごとに繰り広げられる破壊にも不思議と慣れてきてしまっていた。
「センパイ、見てくださいよ。あれ——」
立ち止まって彼女が指差した遠くの空には、十数キロの市街地のビルを挟んで、白色に淡く光るタワーがあった。この街唯一の電波塔で、きっと百数十メートルの高さがあったはずだ。その街一番の高さを誇るはずの電波塔でさえ、今の僕たちの目線よりも低く見える。
「あっち行きましょっか。えい」
少女はまた一歩を躊躇いなく踏み出し、足元の家や低層ビルをスクラップにする。その悲鳴も確かに聞こえるはずなのに、僕には彼女の息遣いのほうが大きく聞こえる。これだけの大災害を巻き起こしてなお止まらない彼女の華奢な身体に、いつまでも明るく残酷な可愛らしい声。規則的な縦揺れが僕を揺らし、次第に僕の耳は彼女のきれいな鼓動だけを拾うようになっていく。
「まるでデートみたいですね。センパイ」
彼女はクスリと笑って、胸元にいる小さな僕を覗き込む。
「まあ、ロマンチックなテーマパークやらレストランやらには行けないですけど……」
笑いながら、足元にあるまばゆいネオンの建物を踏み潰す。きっとそこにも愛し合う人々の暮らしがあったはずだ。
「でも、この夜景を見てください。ちょっとした展望台より高いんですよ、わたし」
そう言って、彼女はわずかに胸を張ってまた一歩を踏み出す。視界は大きく上に開けて、近くの街並みからタワーの向こう側まで、ちらちらときらめく街の明かりが目に入る。
彼女が一歩を踏み出す。するとその明かりが暗くなった。足元を見ると、後輩の足元には数台の車と一緒に、細い電線が下敷きになっていた。すぐに明かりは復旧したが、視界の一部だけはまるで切り取られたかのように欠けて戻らなかった。
「しかも、展望台と違ってイタズラもできちゃうんです」
ふふ、と笑って、彼女は何事も起きなかったかのようにまた先へと進んでいく。
「ねえ、なんで私がセンパイを生かしてあげたか、不思議に思ったことはないですか?」
暗く欠けた夜景の中で、新たに赤い何かが光っている。
「たまたまなんです。たまたま——あの日、何だか朝から妙にイライラしてて、それで大暴れしたんです。ストレス解消するしかない、って思って」
赤い何かが広がっていく。赤い光は暗闇を照らし、家や建物の輪郭を映し出す。
「大きくなるの、好きなんです」
足元の赤い光は炎だった。突然の停電で、きっと火災が発生したのだろう。
「昔から、言い方が難しいですけど、とにかく思ったことは何でも全部私の思い通りになるんです。コインの裏表はもちろん、明日の天気だって。私が晴れてほしいなあと思うと、次の瞬間にはどんな嵐だって晴れてるんです」
火災はまたたく間に広まり、継続的な縦揺れの中で逃げ遅れた人々を飲み込んでいく。火を逃れようと懸命に走る人々の中へ、再び少女の足が上から降り注いでくる。獰猛に燃え広がる炎も、鋭利な柱の飛び出した瓦礫も、なぜか少女には小さな傷すら付けることはなく、1つの火傷ですら負わせることはなく、足元の大災害も全く気にせずに彼女は前へと進んでいく。
「それを良い方向に使えればよかったんですけど——私、性格が悪いんです。だから、突拍子もない災害を起こしてみたり、途方も無い事件を起こしてみたり。中学生の妄想と一緒で、どんどん残酷な方向に考えが行っちゃうんです。しかも、全部実際に叶っちゃう。みんなには内緒ですけど、何回か世界を滅ぼしちゃったこともあります」
後輩は笑う。
「でも、壊しきっちゃうと楽しくなくて、元に戻ってって思うと戻っちゃって、色々なやり方を試していくうちに自分が怪獣になるっていうのを思いついたんです。こうやって」
膝の高さくらいまである十階建てのデパートを、後輩は足を大きく振って蹴り飛ばす。瓦礫は街の隅々まで飛んでいき、すぐに第二第三の犠牲者を生む。
「自分の身体で人を潰すのって、すっごく楽しいんです。それに、ほら……」
しゃがみ込んで、少女は今は顕になった巨大なおっぱいを握りしめる。
「気持ち良いし」
可愛らしい桃色の乳首は、彼女の愛撫に反応するまでもなく、すでにぴんと天に向かって跳ねていた。
「私自体が怪獣になっちゃうわけだから、元通りには暮らせなくなっちゃいますけど。でも私、記憶消せるし……」
後輩の片手には、どこかで摘んできたボロボロの瓦礫があった。細い指でこねこねといじると、それはガラス張りのビルになっていた。
「でも、それにも飽きちゃったんです」
後輩は指を離す。少女の細い指から、ガラス細工のようなビルが落ちて砕け散る。
「だって、潰したら終わりで、使い捨てのおもちゃみたいだし」
しゃがみ込んで、それからまた数歩歩く。
「あんまりにも小さいから、みんな同じにしか見えないし」
後輩はさらに歩く。
「だから、あの日思ったんです。会った人たちみんなを殺しちゃうんじゃなくて、誰か1人を特別に残しておいて、仲良くなっておけば、それでその人を死なない身体にして、何度も何度も壊しちゃえば——それってすっごく楽しいんじゃないか、って」
慣れ親しんだ足音がもう一度響いて、後輩は目的地についた。胸の大きさに届くかどうか、130メートルのこの街のシンボルが目の前に光っていた。後輩が軽く手をかざすと、それはまるでCGの特殊演出かのように、するりと滑らかに小さくなっていった。
「大正解でした、センパイ」
後輩の声が聞こえた。それと同時に視界がふっと暗くなった。どうしてかはすぐに分かった。上空から全身を揺らす声が聞こえた。
「楽しかったです、センパイ。最後にもう一度、私のために死んでください」
誰かの叫ぶ声が聞こえた。またこの展開だ。周囲を見渡すと、ガラス張りの外壁が目についた。建物が基盤から外れるバリバリという音がして、それから地面が大きく傾いた。
確かめるまでもなかった。僕はさっきまで彼女と眺めていた、あの白いタワーの展望台の中にいるのだ。
「くそっ……」
壁と床の入れ替わる激しい回転の中、僕は膝を強く打ち付けて悪態をついた。このタワーのガラスともども、生きているのが不思議だった。きっとさっき目の前で見た魔法と同様、彼女が何かの細工で僕たちを生かし続けているのだろう。
再び悲鳴が聞こえて、それから一段と強い衝撃があった。耳をつんざくような空気の唸りを聞いて、それで自分たちが上昇していたのだと分かった。今は床になっていたガラスから、彼女の巨大な顔が見えた。それはゆっくりと近づいていった。幼げながら妖気を帯びてきらきらと光る、彼女の端正な顔立ち。この状況でさえなければ、まるで液晶越しに映画女優の顔を見ているかのように感じたはずだ。しかしそれは確かな質感を持って、そして彼女の指先が起こすどんな動きもタワー全体を揺さぶって、突拍子もない今の状況に現実感を与えていた。
最後に、まるで挨拶するかのように彼女はにっこりと笑うと、それからタワー全体を口元へと近づけていった。ゆっくりと縦に開いていく唇と、月の光を反射して煌々ときらめく真っ赤な舌を見て、僕たちは食べられてしまうのではないかという反射的な恐怖に身構えた。ガラス越しに見えるその口はあまりに巨大で、僕は彼女の奥歯にできた小さな唾液の池すら認めることができた。まるで1つの生きた洞窟のようだった。
漏れた吐息はしっとりと湿気を含んでいて、唯一の視界だったガラスを白く曇らせた。外が何も見えなくなったが、それも一瞬のことだった。次の瞬間には白い湿気は赤色の舌に置き換わっていて、巨大な味蕾の1つ1つがガラスに触れてべっとりと痕を残した。展望台は土台ごと激しく回転させられ、歯にあたり舌にあたり、あるいは冗談半分で巨大な頬の内にまで転がされたが、それでもなぜか展望台も中の人々も無事のままでいた。
数回口の中で転がされた後、再び視界が明るくなった。気まぐれで食べられてしまうかもしれないと思っていたから、何十秒にも何十分にも感じた長い時間だった。しかし、彼女の顔を見れば分かる通り、それはまだまだお楽しみの始まりに過ぎないのだった。
口の中で転がしていた硬いタワーを取り出して、後輩は手の中にあるそれを見つめた。とうに電気も通っていないはずなのに白く光っているそれは、どうしようもなく魅力的に思えた。少女はぺたりとしゃがみ込んで、それからタワーに向かって片手でバイバイのジェスチャーをした。中にいるセンパイが、少しでも怖がって苦しんでくれるように。
そのまま自分の乳首を摘んだ。少しでも長く展望台の中の人達を怖がらせたかった。頭の良い人ならば、あるいはセンパイならば、これから自分たちの身に何が起こるかはもう分かっているはずだろう。でも、急いでしまうのはよくない。こういうのは準備が大切なのだ。タワーの中に見えるようにしながら、後輩は片手で自らのおっぱいをもみしだき、乳首を刺激し、少しずつ顔を紅潮させていく。
永遠にも感じる静寂の数分が過ぎたあと、後輩は少しイキそうになっている自分に気づいた。今まで巨大化したってこれだけ強く感じることはなかったのに、これは何の違いなのだろう。間違いなく、センパイのおかげだ。最初の破壊のときから、あるいはおしっこのときから、ずっとそうだ。自分の行為に普通の人々が巻き込まれているというだけでなく、顔を知り、声を知り、そして前回の破壊のときからのすべてを知っている人間が巻き込まれているというだけで、これまで何度も場所を変え世界を変え繰り広げてきた行為が、全く新しく、そして何よりもリアルなものとして感じられる。自分がありえないほど巨大で、ありえないほど強く、そしてありえないほど理不尽に普通の人々の人生を奪っているというあのぞくぞくする感覚が、何倍にも何十倍にも強く自分の全身を襲う。
もう我慢できなかった。後輩は自分の唾液にまみれた白いタワーを乱暴に引きずり下ろすと、自分の股の間、身体の中で最もプライベートな部分に街一番だったはずのタワーを近づけていく。強制的に巻き込まれた何十もの人々と、今日何度目かの絶命を体験することになるセンパイを連れて。
陰毛にタワーが触れる心地よい冷たさを感じながら、まずは秘部の分厚い部分、ほの暗い怪しい桃色を湛えた陰唇へとタワーを近づけると、その細やかな凹凸の1つ1つがタワーの照明によって照らし出される。ガラス越しに同じ景色を、何百倍も違う縮尺で見ているはずの一センチ足らずの人々にとって、その自分自身の身体よりも大きく深い輪郭が少女の性器の襞にすぎないというのはどれほど屈辱的なのだろうか。センパイも同じ景色を見ているはずだ。
少女は久しく感じたことのなかった、大切な所を見られて恥ずかしいという羞恥心に気づく。それはこの暇つぶしを始めてから久しく感じていなかった感覚だった。わずかに顔をそばに向けて、それから少女はすぐに納得する——そんなもの、今日大きくなってからずっと感じていたことじゃないか。そしてそれこそが、今日がこんなに素晴らしい1日になっている理由だった。つまり、大切な人——センパイに見られて恥ずかしいという感覚こそが、今日の破壊を何十倍にも残酷に、何十倍にも気持ちよくしてくれている一番の刺激だった。
後輩はくすぐるような愛撫をやめ、一度完全にタワーを自分の性器から外すと、それからもう一度中へと近づけていった。分厚い割れ目がねっぷりと開き、タワー本来耐えられないはずの圧をかけながらゆっくりと飲み込んでいく。先っぽから中へ、さらにその奥へ、巨大な指が支えているわずかな部分を除いて、タワーは完全に少女の深い性器の中に閉じ込められ、数十もの人々は深い肉の洞窟の中で少女の低い鼓動を聞く。少女の内のその空間に隙間はなく、本来ならば何も見えないのがせめてもの救いだったはずなのに、少女の魔法に寄って生かされた白い電灯は、残酷に分厚い粘膜の赤色を映し出していた。
永遠にも感じる数秒の後、少女はゆっくりとタワーを引き抜いていた。まるで淫らな大人のおもちゃを扱うかのように、もったいぶってタワーを動かしていくと、その起伏の1つ1つが少女の敏感な勘所に刺激を与える。ぶるりと1度震えたあと、再び少女はタワーを挿入していく。分厚い唇は柔軟に形を変えて、少女の愛液でてらてらと光る不気味な空間の中にタワーを飲み込んでいく。
タワーの鋭い突起が掻くように奥を突くと、後輩は小さく息を漏らした。唾液が唇の片端から垂れた。びくりと足を震わせるたび、反射的に手を地面につけるたび、足元の地面では何十もの命が失われているはずなのに、もう彼らのことなど頭の中からは完全に消えて無くなっていた。今頭にあるのは自分の中にあるタワーと、その中に閉じ込められた展望台の中の人々、そしてその中にいるはずのセンパイのことだけ。
二度、三度、挿入を繰り返していくたび、少女の吐息は喘ぎ声となって大きくなっていき、タワーの動きも速く、大きく、乱暴なものになっていく。おもちゃのディルドを扱うかのように、数秒に一度のペースで130メートルの展望台は膣の内外を行き来し、暴力的なスピードで叩きつけられ、一部はついにガラスを突き破って直接粘膜の中に落とされる。少女の秘部のなす複雑な麝香に胸をつかえるのも束の間、戻ってきた巨大なタワーに叩きつけられ、次の瞬間には肉体のすべてがペーストとなって少女のピストン運動を支える潤滑油となる。
快感は耐えられないほど大きくなり、少女は今やまぶたを閉じてすべての感覚を自分の秘部に集中していた。一度、二度、三度、タワーが乱暴に粘膜に叩きつけられるたびに、電撃のような刺激が彼女の頭の中を駆け巡り、全身がびくりと震えて眼下の大都市に損害を与える。そんな大損害は少女の行為には一切何の影響も与えることなく、少女は狂ったようにピストン運動を加熱させていく。今や巨大な少女は単にタワーを性器に出し入れするだけではなく、素股のような動きで地面に臀部をこすりつけ、足元のすべてを粉々にしながらこの街のすべてをただ彼女の秘部に刺激を与えるためだけに消費していた。
視界がまばゆく白くなった。全身を稲妻のような快感が迸った。膣の中でガラスの砕ける感触を感じるのと、稲妻に打たれたかのように全身が大きく揺れたのと、そのタイミングは全く同時だった。嵐のような絶頂を感じた。それと同時に、少女は無意識に膣の中をぎゅうぎゅうに締め上げ、タワーのすべての構造物を粉々に押し潰してしまっていた。数回の深呼吸のあと、唇の間からわずかに赤みを帯びた愛液が滴り落ちた。
更地になった地面の上で、後輩は数回深呼吸をした。息を吸って吐くたび、サイレンや火災の音が戻ってきた。足元には、自分の背丈に及ぶものは何一つ残ってはいなかった。粉々の瓦礫と、暗い星空。その狭間で、少女を物思いから引き戻したのは冬の寒さだった。
「あーあ……」
少女は股に指をつっこみ、中に入っていたタワーの残滓を取り出した。一本の細い柱を残して、その他の構造物はすべてめちゃくちゃに壊れてしまっていた。当然、人の姿はもうない。身体の内側に力を込めてみても、そこには何も動くものを感じなかった。
また、1人になっちゃったな。
心のなかで呟いて、巨大な少女はゆっくりと立ち上がった。立ち上がって、伸びをした。破壊された街のすべてを、月に照らし出された彼女の影が覆った。それからまた明るくなった。彼女の影は、この街から完全に消えて無くなっていた。
破壊された瓦礫の中では、今も懸命に助けを呼ぶ人々の声が上がっていた。消防は初動の遅れを取り戻し、隣町やさらにその隣からもたくさんの増援が到着していた。街中が破壊される大災害とあって、彼らはあらゆる脅威に対応できる装備を備えて被災地へと入っていったが、そこには何の脅威の姿もなかった。ただ破壊され尽くした街と、不気味に明るく光る月だけが残っていた。
救助活動は順調に進行し、瓦礫の下からまだ息のある人々が次々発見されていった。それは元の人口を考えれば深刻なほど少なかったが、生存者がいないよりはマシだった。しかし不思議だったのは、生き残った彼らのうち誰一人、この大災害が起きた原因を知っている人がいなかったことである。彼らは破壊され尽くした街並みを見て誰よりも驚き、原因が分からないと口走り、それからどうにか現状を理解しようと逆に救助者の側を質問攻めにするのだった。地震やら火災やら、間接的な原因を懸命に説明する人々もいたが、そのすべての直接の原因となった巨大な少女については、誰一人覚えてはいなかったのだった。
「K市での原因不明の大災害から一ヶ月が経過し、今日から原因の究明に当たる科学者のグループがK市の被災地域に立ち入り調査を行い——」
ニュースの声が聞こえる。
「聞いてくださいよセンパイ、また巨大災害のニュースですよ!ほらほら、今度はタワーのこんな画像まで……」それに続いて、後輩の声。飽きるほど聞いた、何度も悪い夢に見た、それでも可愛いと思わずにいられない彼女の声だ。「ってセンパイ、聞いてます?」
聞いてる。僕は短く頷く。彼女の顔を見る。やっぱり、どれほど憎んだところで可愛いと思わずにはいられない、可愛らしい無垢な笑顔だ。
「あ、分かった、こないだの約束のことが気になって、ニュースどころじゃないんでしょ」彼女は笑う。
「ああ」僕は答える。2つの街を壊滅させ、何十万人もの命を奪った、どんな天災よりも残酷な後輩の目を見つめながら。「じゃあ、行こう」
椅子をしまって立ち上がり、近くにある僕の家へと2人で歩いていく。1年で引っ越しは3度目で、その全ての原因が隣を歩いている彼女にあるというのは腹が立つけれど、やっぱりその目を見ると怒ることができない。あれだけのことがあった後なのに、僕は彼女を傷つけることも憎むこともできなくて、再び別の大学で彼女とストレスフルな日常を送っている。今日はこれから彼女を家に招いて、僕の元々の趣味だったオンラインゲームを彼女に薦めるつもりだ。
「分かってますよね、センパイ——」後輩は僕の顔を下から見上げる。「負けたら半殺し、いや全殺しですからね」
彼女の顔には、かつて見たあの嗜虐的な笑みを浮かべている。きっと彼女はどんな手段を使ってでも僕に勝ち、とびっきり残酷な罰ゲームを与えるだろう。それを僕が受け入れると約束したからこそ、こうやって興味もないゲームのためにはるばる家まで来てもらっているのだ。
「大丈夫」僕は答える。「殺されるのは、慣れてるから」
ふふ、と後輩は笑って、スキップで僕の前に出た。赤だった交差点の信号も、彼女が横断歩道を渡り始めると同時に全て青に変わり、車同士が衝突を起こす激しい衝撃音が聞こえた。少しだけあの残酷な笑みを浮かべてから、後輩は何事もなかったかのように道路を渡りきり、鼻歌を歌いながら進んでいった。