"今日の分の仕事終ーわり…っと" 在宅ワークはいい。 早く終わらせればその分だけ自由な時間が増えるから。 暇になったわたしは、もはや習慣というよりクセになっているフリマサイト漁りを始める。 "何か掘り出し物はー…んー" 登録済みの検索条件を流し見しつつ、気になったものは商品欄をタップする。 大抵はよくある変わり映えのしないラインナップ。 ただ、今日はその中でひとつ、わたしの興味を引くものと出会った。 "お、これなんか良いかも" "レア物☆ 中古美品 エルメラーぜ サンダル ハイヒール 23m ピンヒール お値下げ中♪" それは、新品定価であれば数万はくだらないであろう、ブランド物のオシャレな履き物。それが中古とは言え数千という価格は、安月給で働く若手会社員にはありがたい。 こういうサイトは早い者勝ち。 今すぐ購入したい気持ちを抑えて、念のため説明欄にも目を通していく。 "10年ほど前に購入して以来、大切な機会に愛用してきた思い入れのある品です" "物としてはまだまだ履けますが、出産を機にピンヒールを履かなくなったため、泣く泣く出品することにしました" "写真の5枚目のように指の跡が残ってしまっておりますが、履いてしまえば気になりません" "発送方法は商品に合わせる必要があるため、送料はこちらが負担いたします" 丁寧な説明文から、出品者の方の性格や背景が読み取れて好感が持てる。 確かに指の跡はかなりくっきりと残っているものの、中古品のサンダルなんてそれが当たり前。 どのみち自分で履けばついてしまうので、比較的大雑把な性格をしているわたしはあまり気にならなかった。 "よし、買っちゃお!ポチッとな" 購入メッセージを入れると、早速お返事が返ってくる。 たまたま住所が近かったこともあり、到着予定はなんと明日になるらしい。 ひとつ楽しみができて浮かれたわたしは、気分良く明日の分の仕事に取りかかるのだった。 そして日が変わり、到着予定日の正午頃。 "んー…発送通知は来たのに、宅配業者さんからのメール来ないなぁ" 幸いにも今日も一日在宅なので、いつ来ても問題にはならないけど。 そう考えたわたしは、これといって特に何も感じていなかった。 地面が揺れ始める、その時まで。 "…ん?地震?にしては揺れ方が…" ドン、ドン、と等間隔で小さく揺れていて、地震のときみたいなガタガタガタという感じではない。 それはまるで…と思いを巡らせるより前に、その揺れ方は少しずつ強くなっていく。 "わっ、ちょっと、なんなのっ!?" 最初はマグカップの黒い水面が波打つ程度だったのが、ガタン、ガタン、と地面から突き上げられるような強さになってきた。 どう考えても自然に発生するものじゃない。 "…まさか…!" そこまで考えてハッとする。 体感したのは初めてでも、知識としては知っていた。 "んー…住所だとこの辺なんだけど" "っ、…!" 遥か天空から降ってくる、落ち着いた大人の女性の声。 この"人為的な"揺れの原因が近づいていることを、否が応でも理解させられた。 "…やっぱりどう見ても小人ちゃんのお家しかないわよね…" 彼女の口から発せられた"小人"という表現。それはわたしたち人類を指して言う巨人族側の言い方に他ならない。 つまり、この人間の街に巨人が入り込んで来ているという証だった。 "それにしても、道が狭くて歩きづらいわね…よく見て歩かないと踏んじゃいそう" 彼女たち巨人は人間のおよそ100倍という圧倒的な巨体を有する。 今でこそ種族同士の共存が進んでいるとはいえ、人間の街には彼女たちを受け入れるだけのキャパシティがないことも多い。 言うまでもなく、ほとんどの建物が彼女の膝丈にも満たないこの小さな住宅街もそのひとつだった。 "…あと、あんまり足元をちょろちょろ動かないで欲しいのだけれど…"不幸な事故"はお互いにイヤでしょう?" 人間が運転する乗り物の事故がなくならないように、彼女たちとの接触による事故もまた残念ながら同じこと。 踏まれてしまった場合に人間がどうなってしまうかは考えるまでもないが、悪意がない限りはただ歩いているだけの彼女たちを強く責めることはできない。 彼女たちも一定の気を払ってくれている以上、死にたくなければ、わたしたちが気をつけるしかないのだった。 "えーっと、あったあった。このお家ね。目の前に空き地があって助かったわ" "っ、う…そ…" その足が引き起こす揺れと轟音が、我が家のすぐ目の前から伝わってくる。 まさかと思ってカーテンの隙間から覗いて見れば、車道を横断するように踏みしめてこちらへ向けられた巨大な左足が目に入った。 "道塞いじゃってごめんなさいね。ああ、靴の下、高さ足りると思うから、そこ通ってもらって構わないわよ?" 真紅に煌めくペディキュアと同じ色のハイヒールサンダルは、三階建ての我が家よりも背の高いピンヒールを公園の真ん中に突き刺している。 ちょっとしたトンネルのようになっているアーチの下を無邪気な子供たちが笑いながら通り抜けていく。 微笑ましいながらも異様な光景だった。 "さて、メッセージを…お届けにあがりました…と" "ひっ、や、やっぱり、わたし…" 通知を示したフリマアプリを開いてみると、彼女から届けられたメッセージが表示されている。 混乱する頭で商品ページを再確認すると、思わずタイトル欄を二度見してしまう。 "レア物☆ 中古美品 エルメラーぜ サンダル ハイヒール 23m ピンヒール お値下げ中♪" "…っは!!め、めーとる…!?" よく見ると、きちんとサイズが記載されている。 フリマアプリあるあるの、思い込みによる確認不足だった。 "あの、すいません。居ませんか?既読にはなったのですが" "うっ…これ、出なきゃだよね…" ここまできて、今さらキャンセルなんてできるはずもない。 天から降ってくるその声に私は慌てて"今出ます"とだけ返信し、スマホ片手に玄関から飛び出した。 "お待たせ、しましたっ!" "あ、良かった。今回はご購入ありがとうございます" "は、はい…" そこに居たのは、私と同じか少し上くらいの見た目をした、綺麗な巨人の女性だった。 高層ビルよりも高い場所にあるお顔は、真下からでは半分以上が豊かな胸に遮られていて、逆光も重なって表情が読めない。 その代わりと言うべきか、スリットの深いセミロングのスカートからは中身がバッチリと見えてしまっている。 不可抗力とはいえ、そこにある大人の色気に思わず顔が熱くなった。 "まさか小人ちゃ…失礼。人間の方に買っていただくとは思いませんでした" "あはは…" "これ、商品なんですが…どこに置きましょう?" そう言って彼女が肩掛けのバッグから取り出してきたのは、アプリで何度も確認した通りの素敵なサンダル。 ただ、その23mというサイズは我が家を軽く上回るほど大きく、広大な敷地を有した豪邸でもないウチには置ける場所などあるはずもない。 対応に頭を抱えていると、彼女も会話しづらかったのかスカートを丁寧に挟み込みながらしゃがんできた。 "んしょっ…と。もしもーし。聞いてますかー?" "ひっ…" 片手で髪をかき上げる仕草は手慣れていて、こちらを見下ろす視線に魅入られる。 ただ、それも束の間、反対の手でサンダルのストラップ部分を指に引っ掛けると、そのままブラブラと手持ち無沙汰に揺らし始めた。 圧倒的な質量によってゴオンゴオンと風が吹き荒れ、その下にいる私は落ちてこないかと気が気でない。 "これ、商品合ってますよね?" "は、はい…" "ん、良かった" アーチの裏側部分には掠れた"23"という数字とブランドのロゴが確認できた。 年季を感じさせる靴底は当然ながらお世辞にも綺麗とは言えなくて、無数の汚れと傷跡が刻まれている。 私はその一部になんてなりたくない。 "…お家の中、誰か居ますか?" "い、いえ…今は私一人で…それが何か…" "あら、そうなの。それなら大丈夫かしら" "えっ" 驚愕しながら見上げる私と、ニコリと屈託なく笑う彼女の視線が重なった。 すると彼女は靴を揺らすのをやめて、両手で一足ずつ持ち直す。 そしてそのまま私の上に移動してくると、靴の影に覆われてその様子が見えなくなる。 "他に場所もなさそうなので、お家の上に置いちゃいますね" "そ、そんな…待ってっ…!" 私の叫びが聞こえているのかいないのか、彼女の動きは止まらない。 支えとするようにまずヒールを公園内に接地させると、そのままゆっくりとつま先側を下ろしてくる。 あの薄汚れた靴底が、思い出の詰まった我が家の屋根へとのし掛かり始めた。 "倒れちゃわないようにバランスに気をつけて…" "あ、ああっ…うそ、こんなの、うそよ…" 彼女は力を込めているようには見えないどころか、ギリギリまで支えてくれているように見える。 それなのに、私たち家族を何年も守ってきてくれたはずの我が家は、その靴底の下でまるで溶けるかのように容易く踏み壊されていく。 "やめてっ…やめてよぉ…" バキバキという豪快な破砕音とともにサンダルが家に沈み込んでいく。 思い出のたくさん詰まった3階の子供部屋は、たった一瞬で瓦礫の山となってしまった。 "あら、ごめんなさい。貴方たちのお家ってこんなに脆いのね…まさか置いただけで壊れちゃうなんて" 彼女は少し申し訳なさそうにしながらも、その巨大構造物を持ち上げてくれる様子はない。 その手を離れたサンダルは自重だけでその下の階もあっけなく踏み抜いていく。 わたしたちの住処は彼女たちの靴置き場にすらなれない。 ガラガラと音を立て崩れゆくそれは、もはや家の形を成していなかった。 "あ、ああっ…みんな、ごめんなさい、ごめんなさい…" 両親が必死に働いて建ててくれた、私たち家族の安らぎの在り方でもある夢のマイホーム。 それがたかがお値段数千、10年物の履き古されたハイヒールサンダルによって、こうも簡単に奪われてしまった。 "あらあら…これはもうぐっちゃぐちゃねぇ…" 真上から我が家の中を他人事のように覗き込む彼女は、商品を購入者の元に届けただけだ。 これはすべて私が単位を読み間違えてしまったせいに他ならない。 悔いても悔いても悔やみきれなかった。 "申し訳ないですが、近くで見て商品確認をお願いできますか?" "…はい…" "あ、崩れるかもしれないので気をつけてくださいね" 一応の優しさをもらいつつも、ひしゃげてしまった玄関から部屋の中へと戻る。 入ってすぐの階段は途中からなくなっていて、代わりに靴底の一部が顔を出している。 2階から上の状態が絶望的であることを理解して、思わず涙が溢れてきた。 "ひぐっ…えぐ…どうして、こんなことに…" 止めたって、聞いてはもらえなかった。 私には、人間には、巨人の行動を変える力はない。 "うっ…ていうか、なんかちょっと臭う…?" 脱ぎたてというわけではないはずが、やはり何年にも渡って染み込んだものもあるのかもしれない。 そう思いながら土足のままリビングに入ると、我が家の憩いの場はサンダルのつま先部分が完全に占拠していた。 "薄っぺらいはずの靴底だけで胸元まであるんだ…というか、この足指の跡…凄い…" 写真でもわかるほどにクッキリと刻まれていた指跡は、近くで見ればさらにその迫力を増している。 五指の位置がわかるほどのその変色した凹みは、一つ一つが当たり前ながら恐ろしく大きい。 親指の跡に至っては、その中で人が何人も寝転べてしまうほどもあった。 "悔しい…悔しいよっ…!こんな、こんな物に私たち家族の居場所を奪われたなんて…!" よく見れば足指の角質や皮脂が至る所にこびりついていて、そこから漂う若い女性の足の臭いが楽しかった思い出を上書きしていく。 私たち家族の食べる物や着る物、生きていく上で必要な様々な物が、たった一足の中古サンダルの下で踏み躙られてしまった。 そんな絶望の気持ちに包まれながらも、外から聞こえる急かすような軋み音に、手元のスマホに自然と指を伸ばしていく。 "…あ、完了ありがとうございます。こちらからも完了にして…取引終了ですね♪" ゴオオと巨体が持ち上がっていく轟音を、意識の端っこで拾い上げる。 彼女によって作られていた影が消え、ここには以前にも増してあたたかな陽射しが入り込んできていた。