縮小化政策のあおり 「まさか神川くんがいるなんてビックリしちゃった」 「い、いや…俺もまさか天音先輩のところになるとは…」 部屋の中、カーペットの上に置かれた低めのテーブルの前に座る少女と姿の見えない少年の会話。 少女が話しかけているのはテーブルの上。 四方およそ80cmの広さのテーブル。部屋に置いておくにはちょうどいい大きさだろうか。 そしてそのテーブルの上には、まるで地図を広げたかのような10万分の1サイズの街並みがびっしりと広がっているのだった。 最近、政府が施行した縮小化政策。 国民を縮小化することで国土に余裕を持たせようというものである。 狭い日本にこれ以上国民を許容できないことと、増え続ける国民の生活を維持するための発電所など施設の建設場所確保が目的とされている。 縮小化した国民の生活する町、通称「縮小市」の必要電力などは、その縮小倍率によって減少し、先の10万分の1サイズの縮小市ならば、電力は本来の10万分の1で済むという。 省エネと国土の閉塞感解放に大きく期待されているこの政策は先日試運転に入った。 一度にすべての国民を縮小してしまえばどんな弊害が出るともしれず、まずは小さな村や町などを対象に試験しデータを収集することに。 こうした対象になった町や自治体には政府から援助金が出るので、財政難にあった村や政府の新しい政策に協力しようという町などそれなりに多くの希望が集まり、それに名乗り出た、少年・神川くんのアパートのある町はその試験の対象の一つとして見事選ばれたのだ。 そして縮小された町は政府が選出した信頼できる人間の下に預けられるのだが、神川の町の預けられた先は偶然にも学校の先輩のところだった。 「神川くんてアパートから通ってたんだね」 「は、はい。電車賃やバス代入れても、学校の近くのアパートから通うよりも安かったんで」 アパートの窓から身を乗り出す神川は顔を引きつらせながら答えた。 というのも、地平線の向こうに山よりも大きな天音の上半身が広がっているからである。 神川の感覚ではこのテーブルの上に広がる縮小市(縮小された町や山、川、その他すべての地形を含めて「縮小市」と称される。仮に山だけだったとしても「縮小市」である)は四方80km。 下手をすると、東京都が丸ごと入る範囲。 神川の町以外にも周辺の山や川なども一緒に縮小され、更には別の縮小希望を申し出た町なども一緒になっている。 しかしここはただのテーブルの上で、天音がその前に座っているのは当然のこと。 10万分の1の神奈川の前には、10万倍の大きさになった天音の体が見えるのだ。 神川と天音の関係はただの後輩と先輩である。廊下で会えばちょっと世間話をするくらいのもの。以前委員会で一緒になった時にちょっと親しくなった程度だ。 神川の印象としては、黒く長い髪と常に浮かべている柔和な笑みが特徴的だった。 スタイルもいいし、学校では割と人気で有名な方である。 ちょっとおっとりとしているが、根はしっかりとした人だと思う。 「でも先輩、こうして縮小市を任されるってことは政府に信頼されてるってことですよね。それってやっぱ凄いですよ」 「ふふ、ありがとう。でも私って結構ドジでおっちょこちょいだし、成績もそんなに良くはないんだけどね」 地平線の向こう、雲よりも遙か上空、霞みがかった先輩の顔が苦笑した。 先輩はそう言うが、その成績は常に学年で8位以内に入っている。 話をしていても、なんでもすらりと答えられるほど物知りだ。 ただ先のおっちょこちょいというところがネックで、解答欄がひとつずれていたり、うっかり名前を書き忘れたりして中々上位5位以内に食い込めないらしい。 その辺が、先輩の言う成績の良くないということなのだ。 それだけじゃない。こういうのはやっぱり人格がちゃんとしてなきゃ任されないものだ。学年で5位に入るんじゃない、全国の数人に選ばれたんだからやっぱり凄い人だ 神川にとって天音は憧れの先輩でもあり、この縮小化政策の試行期間が終わるまでの間、その憧れの先輩と一緒にいられるのはとても嬉しかった。 「それにしても神川君、随分とちっちゃくなっちゃったね」 「ええ、まさかここまで小さくなるとは思いませんでした」 神川の視線では四方に普通の景色が広大に広がっているが、ある一線を超えると、そこはとんでもなく巨大な世界である。 それが縮小市と現実の境。神川と天音の世界の違いだ。 逆に天音からすれば、神川の広大な世界は全てテーブルの上に収まる大きさなのだ。 「てかよく俺のことが見えますね」 神川の疑問は当然のこと。 現在神川は10万分の1の大きさに縮小しており、それは身長2mの人間が0.02mmの大きさになるということだ。 髪の毛の太さの4分の1ほど。普通のシャープペンシルの芯0.5mmの20分の1以下の大きさである。 本来なら、なんの前知識も無く肉眼で確認するのは不可能な大きさだろう。 声だって、例え神川が天音の耳に入って大声で叫んだとしても聞こえないはずだ。 今の神川から見た天音の耳の穴は直径数百mという大空洞であり、彼の声など反響することは無い。どんなに力いっぱい叫ぼうともその暗闇の中に吸い込まれていってしまうのだ。 「ちゃんと見えるよ。ただやっぱり小さいからちょっと目を凝らさないといけないけどね」 そう言って笑いながら天音が身を乗り出し顔を神川のいるアパートに近づけてきた。 神川には、空の彼方にあった天音の顔が雲を押しのけながら高速で落下してきたような印象だった。 視覚的に急激に巨大化した顔が空を埋め尽くしていったのだ。 この縮尺なら天音の顔は神川のアパートのある街よりも大きいだろう。街の上空を埋め尽くしてしまった。 顔のパーツ一つ一つが自然物に匹敵する大きさだ。 アパートの上空を埋め尽くしたぱちくりとまばたきをする巨大な目は直径が1km以上もあり大きな湖みたいだし、あの鼻は標高2000m近い山のようだ。 あの広大なほっぺには小さな街がまるごと建設できるだろう。 天音の顔は笑っている。これはちょっとしたイタズラなのだ。 だがそのあまりの迫力に神川は顔を引きつらせていた。 「あはは。ビックリさせちゃった?」 「い、いえ、その、ちょっと…」 くすくすという天音の笑い声が街の上に轟く。 街は完全に天音の顔の下になり若干暗くなっていた。 天音の大きな瞳に見つめられながら神川は深呼吸をして呼吸を整える。 「ふぅ…。先輩、あまり驚かさないでくださいよ。驚きすぎて身がもたな…」 と、その時神川の視界に天音の上半身が入った。 テーブルの中央付近にある神川のアパートに顔を寄せるために上半身を倒したために、なんと、天音の大きな胸がテーブルの上の縮小市の上にのしかかってしまっていたのだ。 「う、うわぁ!」 その光景を目にして神川は思わず叫んでいた。 そんな突然叫んだ神川を見て天音はきょとんとした表情で首をかしげる。 「どうしたの?」 するとその僅かな所作で天音の体が僅かに動き、縮小市の上にずっしりとのしかかっている巨大な胸が新たな範囲を巻き込みながらずりずりと引きずられた。 あの辺りは高層ビル群があったのだが、今は天音の胸に呑み込まれ何も見えなくなっている。 「せ、先輩……そ、その…胸が…」 あまりに衝撃的な光景を目の当たりにしながらも、なんとか声を絞り出した神川。 「胸?」 神川の言葉を受け、上半身を元のように起こして自分の胸を見下ろす天音。 自分の胸の先端部分からやや下にかけて、ちょっと砂で汚れている。 テーブルの上を見てみれば、そこにある縮小市の中に土がむき出しになった二つの円があった。 「あ、胸が着いちゃったんだ」 言いながら天音は胸に付いた砂を手でパタパタと払い落とした。 その動作で大きな胸がぶるんぶるんと弾み、三回も叩けば砂はほとんど払い落とされた。 そして天音は自分の胸が着いてしまった縮小市を見下ろす。 「大丈夫かな? そんなに強く着いてないと思うんだけど」 「…」 やはりきょとんとした表情で、のほほんと言う霞掛かった天音の姿に神川は絶句していた。 天音が上半身を起こしたとき、持ち上がった胸からパラパラと無数のビルの瓦礫が落ちてゆくのが見えていたのだ。 服の繊維に引っかかり原形を保って胸に付いたまま空の彼方に攫われていってしまうビルもあった。 だがそれはただのゴミではなくビル、それも高さ100mを超える超高層ビルだった。 ほとんどのそれは粉々の瓦礫になっていたようだが僅かに、それでも数十の高層ビルが原型を保っていたようだ。 胸が持ち上がったあと、胸が乗せられていたところにあった超高層ビル群はほぼ壊滅状態だった。 胸が着いた部分は完全に押し潰され地面がむき出しになっている。のしかかってきた天音の胸の重量を物語っているようだ。 上半身を起こした天音の胸からはまだときおり瓦礫が落ちている。原形を保ったままのビルも、ふと繊維の隙間から抜け落ちてそのまま数万m、下手をしたら数十万mの距離を落下していっていた。 縮小市は10分の1の大きさであり、それは100mの超高層ビルも天音から見れば1mmほどの大きさでしかないということである。 例え高さ100mの超高層ビルでも、太さがそれほどにあるわけではなく、天音にとってはビルはゴマ粒ほどの大きさも無いのだった。 無論、無人ではない都市の、その中に数百人数千人といたであろうビルが天音の胸によって数百と破壊されてしまったのだ。 神川から見れば、そこにはとても大きな都市があったはずだ。 この縮小市はほとんど平野なので、神川からのアパートからでも聳え立つ摩天楼たちは見えていた。 だが今はそれが無い。 さっきまでそこにあった街が、あっという間に無くなってしまった。 その摩天楼があったところを通り過ぎた視線の先は天音の体に繋がり、視線を上にあげてゆくとあのたった今街ひとつを押し潰した超巨大な胸が見えてくる。 すでに街の瓦礫は払い落とされ、元の綺麗さを取り戻していた。街ひとつの痕跡が簡単に消されてしまったのだ。 更に視線を上げてゆくと、口元に手を当てあらあらと言った表情の天音の巨大な顔が街を見下ろしていた。 「わざとじゃないの。ごめんなさい」 そして天音は今度は神川を見下ろしてきた。 「神川君は大丈夫?」 「へ…? あ…お、俺は大丈夫ですけど…」 「そう、よかった」 にっこりとほほ笑む天音の顔。 だがその笑顔が魅力的であるほどに、その下の壊滅した街並みに違和感を覚える。その街は、天音の胸の直撃を免れた部分も、凄まじい衝撃によって崩壊していた。倒壊したビル。歪んだ地盤。ひび割れた大地。それらの光景が、言葉なく唖然と立ち尽くす神川の背後のテレビで放送されていた。瓦礫都市となった街を、生き残った人々が必死に逃げてくる光景が映っている。 カメラはそんな人々と街の光景を写した後、この大災害の張本人でこの縮小市の管理者でもある天音の姿を見上げ写した。 街は神川のアパートよりも天音に近いところにあるので、神川の視線よりもずっと上を見上げるようなアングルになった。 服に包まれた胸の大きな盛り上がりがバインと映し出され、その山々の向こうに、笑う天音の顔が映された。 キャスターは街の被害と管理者のその後の様子に非常に不快感を示しているようだった。だがそんなキャスターの言葉など、天音の耳に届きはしない。 また、壊滅した街よりもさらに天音に近い場所では、胸板から大きく飛び出した天音の胸によって空を覆われていた。 天音はテーブルの前に普通に座っているのだが、それでも天音の大きすぎる胸は縮小市の上空を侵略してしまうのだ。 上空は常に薄暗くあり、また今の都市の光景を見ていたそこの住人達は、次は自分たちの上にこの山の様な乳房が下りてくるのではないかと恐々していた。 人々がパニックを起こしながら天音の胸の影から逃げ出してきていた。 天音の胸は通常時でも胸板から十数cmは飛び出しているが、これは縮小市の住人からすれば十数kmも飛び出しているに同意なのだ。 横たわれば、そこには二つの乳房が山のように聳えることだろう。標高1万数千mの巨大な山。天音のそれぞれの乳房は、富士山の3倍以上の大きさがあった。 そんな乳房は天音のちょっとした仕草でゆっさゆっさと弾み、その度に周囲の人間の恐怖はピークに達する。 そして一連の事件の光景は縮小市中から見る事が出来、パニックは縮小市中に広がっていった。 数百万の人々が天音から逃げるように縮小市の中を走り外界への脱出を図る。 だがこのテーブルの上の縮小市の外は距離にして4万m近い絶壁であり、山脈のような淵を乗り越えた先にはあり得ないほどに高い奈落が広がっているのだ。 多くの人はそこで踏みとどまったが、何百人かはそのままテーブルから落下していってしまった。 まだテーブルの中の人々も天音から離れるべく車やらバイクやらを走らせている。 それらの光景を、天音は微笑みながら見下ろしていた。 人々がどんなに全力で走ろうとも天音からすれば止まっているに等しい速さなので、天音は人々が泣き叫びながら自分から逃げているとは思わなかった。 数百万人が逃げ惑う阿鼻叫喚となった縮小市を、天音は笑いながら見下ろしているのだ。 「う…」 唯一、天音のことを知る神川だけがその混乱に呑まれずにいた。 さきほどの行為が意図したものではなく、天音にはそのつもりも、今後はそういうことは無いだろうと思ってのことだった。 だが天音が多くの人々の命を奪ってしまったのは事実で、天音がそれをどこまで理解しているのかはわからなかったが。 焦燥。どうにかしなければと思う反面どうにもできないのではという疑問が過る。 縮小市は大混乱に陥っている。どうにかしてこの混乱を収めなければ。だがどうやって…。 神川は小さな頭をフル稼働させて考えていた。先の天音の行為には自分たちを攻撃する意図は無い事を伝えれば混乱は収まるのか? しかしすでに万余の被害者が出てしまっていて壊滅的なダメージを受けた縮小市はどうやっても立て直せないだろう。 だからと言ってこのまま放っておいてよいものではない。 神川の中にも天音に対する恐怖はある。だが天音を知る人間としてなんとかこの混乱を収集しなければ縮小市が崩壊してしまう。 「どうしたの? 神川君」 天音の声が縮小市に轟く。 今の人々を芯から震え上がらせる凄まじい巨大さだ。 人々が恐怖にひきつらせた顔で見上げた先の天音の巨大な顔はきょとんとしていた。 天音自身としては神川が頭を抱えて悩んでいるから声を掛けたのだが、人々にとってはこの縮小市の大災害を毛ほども気にしていないように見えた。 それがまた人々に恐怖と、怒りを覚えさせた。 実際、天音は縮小市の混乱そのものは全く気にしていなかったが。 と、その時、混乱した縮小市を映していたテレビがある一団を捉えた。 その人々は、管理者であるあの女が先ほどから口にしているカミカワという人間を探しているとのことだ。思わず思考を遮られテレビに見入る神川。彼らの目的は管理者の知人であろうそのカミカワを人質に取り、管理者のこれ以上の悪行を阻止しようと言うものだそうだ。 神川は自分の顔から血の気が引くのが分かった。 集団の人間は極限状態に追い詰められたとき、非人道的な手段を平気で実行できてしまうものだ。神川も、それはなんとなく理解できる。 理不尽に一方的な大虐殺を受けた人々が、管理者に有利な立場を取ろうと自分を人質に取ろうとしているのだ。 だがこれほどの大災害が起こった今、ただ捕まるだけでは済まないだろう。 その後にどういう目に遭わされるか…。それは考えただけでも悍ましい結果だった。 「神川君?」 再び、大気を震わせる天音の声が響き渡った。 だが他の人々はその声に震え上がっても、神川はその声に答える余裕が無かった。 逃げなければ。 すでに縮小市中の人々がカミカワ狩りに動き出しているとテレビは報じている。 何度かカミカワを捕まえたと報じられたがそれらは全くの別人であった。だがその人違いの人々は皆、無残な姿に変わり果てていた。 恐怖だった。 自分が殺されるかもしれないと言う恐怖。 天音には感じなかったものだ。だが恐らく人々が天音に感じている恐怖も同じようなものなのだろう。 神川はアパートを出るべく走り出そうとしたのだが、窓から外を見下ろして足が竦み上がった。 神川の部屋は2階にあり、平野の大地はある程度見渡せる。 見渡せる街中で人々が暴れまわっていた。自分を見つけ出すべく、手段をかなぐり捨てて動いている。 どこかの住宅に押し掛けたかと思えば家中を荒らしまわり、挙句には火をつけて燃やし尽くしていた。 狂気だ。行き過ぎた狂気は人々から正気を奪ってしまったのだ。 そして神川が足を止めた理由は、そんな人々の波がこのアパートに向かって押し寄せてきていたからである。 狂気に駆られた人々がアパートを包囲しつつあった。 もしかしたら人々は、なんらかの方法で神川が自分であることを突き止めたのかもしれない。 顔が割れているのだとしたら、この人波の中を逃げ切るのは不可能だ。 ドンドン! 突然、アパートの玄関のドアが思い切りたたかれ神川は飛び上がった。 扉の向こうからは怒号が聞こえてくる。 窓の方を見れば、そこには人波が目と鼻の先にまで近づいて来ていた。 もうダメだ。 いったいどうしてこうなったのか…。 「神川君、大丈夫?」 周囲の喧騒を簡単に吹き飛ばす天音の声。 その声音には心配の色がにじんでいた。 同時に周囲が僅かに薄暗くなる。天音が再び顔を寄せてきたのだ。 アパート付近の空が、天音の巨大な心配そうな表情の顔に埋め尽くされた。 結果、再び天音の大きな胸がテーブルに押し付けられまた大量の人々を押し潰すことになったが、天音はもとより、今度は神川もそれを気にする余裕は無かった。 神川の体はガクガクと震え立っている事さえできなくなっていた。 怖い。目の前に迫っている暴力が、とても怖かった。 そんな神川の様子が天音にも伝わったのか、 「待ってて、今助けてあげるから」 そう言った天音は手を伸ばし、神川のアパートを右手の人差し指と親指の爪で摘まみ上げた。 そして摘まみ上げたアパートを左手の上に降ろすと、その拍子にアパートの窓から神川が転がり出てきた。 「神川君、ちょっと離れてて」 神川が慌てては慣れていったのを確認すると、天音は残ったアパートを右手の人差し指でぷちりと潰した。 指を持ち上げればもうそこには瓦礫すらも粉々になったアパートの残骸が残されるのみだった。 「大丈夫? 怪我してない?」 心配そうに尋ねてくる天音の顔を、天音の手のひらの上から見上げる神川。 天音は簡単にやってのけたが、この一連の所作は神川のアパートの周辺に集まっていた人々にとっては天変地異のような凄まじい大災害であった。 差し出された天音の指は人差し指が長さ6km幅1.2kmほどもありその先端部に煌めく整えられた長い爪だけでも1.5kmもの長さがある。 爪の上に住宅街を建設できる大きさだ。 人々を何百と居住させて生活させるに十分な広さを持っていた。 それが、天音の指の一枚の爪の大きさだった。 うねりを上げながらやってきた巨大な指は器用にもその巨大な爪の間にアパートの建物を摘まみ土台ごと地面から引き抜いて宙へと持ち上げていった。 アパートの幅は20mほども無く、それは天音から見たら0.2mmも無いということだったが、天音は建物を大きく破壊する事無くその砂粒の様なアパートを摘まんだのだ。 厚さ1mm近い天音の爪はアパートを摘まむときその周囲の地面に触れていたが、縮小市の人々から見れば天音の爪は厚さ100m近くあるということであり、天音の指がアパートを摘まむために地面に降ろされたとき、親指と人差し指合わせて厚さ200m近い範囲がその爪の下で押し潰されたことになる。 天音の爪は高層ビルの高さよりも厚いのだ。そしてそれは爪の幅1kmにもおよび、アパートの周辺に集まっていた人々は天音の爪の厚さの下で深さ100mほどにまで埋没しながら押し潰された。 恐らくは数百人が、その爪の厚さの下に消えただろう。 指が持ち上がった後、アパートがあった場所には幅200m弱長さ1000m深さ100mもの巨大なクレバスが穿たれていた。 そして持ち上げられたアパートは天音の左手の手のひらの上に下された。 長さ17kmはありそうな超広大な手のひらの上だ。街ひとつをその上に建造できるのではないか。 神川はアパートが下された時の衝撃で窓から手のひらの上に放りだされたが、柔らかい天音の手のひらのおかげか大した怪我もせず、天音の声を受けてすぐ起き上がり慌ててその場を離れて行った。 まだアパートには他の住人や玄関まで押し寄せていた人々が残されていたが、アパートが手のひらの上に落下した際の衝撃でところどころが崩壊し瓦礫に挟まれたり怪我をしたりで彼らはすぐに動けなかった。 直後、先ほど彼らのいるアパートを摘まみ上げた天音の人差し指が飛来し、彼らのいるアパートを手のひらとの間でぷちりと潰した。 神川からは超巨大な手が、この広大な肌色の大地である手のひらに大きく沈み込むのが分かった。 大地に、山のように大きな指先が沈み込む壮大な光景が広がっていた。 それだけでも十分なのに天音は押し付けた指をぐりぐりと動かし、指の下で粉々に潰れていたアパートを更に更に細かく磨り潰してゆく。 ビルでさえも一瞬で砂に変わってしまう凄まじい力だ。 神川のいる大地が、指の動きによってグラグラと揺れた。 アパートにいた人々は既に原形をとどめていなかったが、その指の押し付けで痕跡さえも完全に抹消されてしまった。 天音は彼らを塵ひとつ残してやるつもりは無かった。 巨大な指が持ち上げられたとき、そこにはアパートなどなく、ただいくばくかの粉が残っているのみであった。 「大丈夫? 怪我してない?」 心配そうに尋ねてくる天音の顔を、天音の手のひらの上から見上げる神川。 神川から見た天音の手のひらはそれだけでひとつの大地だった。 肌色の平原は緩やかな起伏があり、小さなシワが神川にとっては大きな谷となる。 どこまで見渡しても肌色の世界は恐ろしく広大だった。 富士山さえ乗せてしまえる大きさなのだ。 指は一本一本が数千mというとんでもない大きさであり、世界中どこを探しても、天音の指よりも高い建築物は存在しない。 神川は先ほどまでよりも近く、そして遮るものの無くなった天音の巨大な顔を見上げた。 「せ、先輩…」 「危なかったね。もう、みなさん酷いですよ。神川君はなにも悪くないのに」 テーブルの上の縮小市を眉を八の字にしながら見下ろし「もう」と天音が文句を言う。 「い、いや先輩、これは…」 「大丈夫だよ神川君、みんなにはちゃんとお仕置きするからね」 「……え?」 呆ける神川ににっこりとほほ笑んだ天音は神川を乗せていない右手を縮小市に伸ばし、そして指で軽く触れた。 ズズゥゥゥウウウンン! 超巨大な指が接地し、それだけで指の腹の下に住宅街が一つ押し潰された。 天音はそのまま、指を横に滑らせ始める。 ゴリゴリゴリゴリ! さらに広大な範囲が天音の指の下に巻き込まれ磨り潰されてゆく。 高層ビルですら天音の指の10分の1ほどの大きさしかないのだ。 たかが1mmのビルなど指に巻き込まれた瞬間に粉々である。 同時に、そこにいた人々も。 神川からその光景は見えなかったが、天音がやっていることは容易に想像できた。 「せ、先輩! 何を…!」 「じゃあ次はこっち」 ひとつの街を指ひとつで粉々に磨り潰した天音は手を持ち上げると別の街の上に伸ばした。 街の上空を覆い尽くす天音の巨大な手のひら。一瞬にして夜が訪れた街の中で人々が悲鳴を上げて泣き叫ぶ。 天音は手のひらをそのまま街の上に降ろした。 何かが潰れてゆくような感触は感じられない。天音には街の建造物は小さすぎるのだ。 手のひらを持ち上げるとそこにはくっきりと手の跡が残っていた。 地面に、1000m近くは埋没してできた手形だ。街にいた住人は一人も逃げられなかっただろう。 持ち上げられた手のひらからパラパラと落ちる土は、一つ一つが100m近い大きさだった。 「次は…」 また別の場所に手を伸ばした天音はそこにあった小さな小さな山を指でちょいとすくいとり近くの街の上に落とした。 山は巨大な指に抉られ消滅し逆に巨大な穴に変わり、街は山一つ分の土砂を落とされ埋められてしまった。 そして天音は無数の人々が生き埋めになっている街を下敷きにしているその山を指で丁寧に押し固めた。 最初街だったところは次に山に変わり最後には平野にされてしまった。ほんの数秒間の出来事である。 更に天音は手を伸ばし次々と街を消してゆく。 その度に縮小市で起きる悲鳴や怒号はどんどん少なくなっていった。 どんな小さな街も村も見逃されなかった。 天音から見たら5mmも無い小さな村も見つけられ人差し指を優しく押し付けられて潰される。 また天音がテーブルの奥に手を伸ばすと、この混乱の元凶でもあるあの巨大な乳房がまた縮小市に押し付けられ多くの人々を押し潰した。 超巨大なおっぱいがぐいぐいと押し付けられ下敷きになった街は粉々に砕かれ磨り潰されてゆく。 街ひとつが片方の乳房の下で押し潰されてしまうのだ。 大地がゴリゴリと削られ地殻がめくれあがる。巨大すぎる乳房の重圧に大地が耐えられないのだ。 乳房が持ち上げられたときそこには直径20kmほどもある巨大なクレーターが穿たれていた。 だがそれはミサイルなどが着弾したときのように衝撃で周囲に砂が吹き飛ばされているそれではなく、上からの途方も無い重圧によってすべてが圧縮されてしまった世界だ。 街が、若い少女の軽いおっぱいの押し付けによって消されてしまったのだ。 もちろんこれらは、天音の無意識のうちの事で、天音はと言えば手で街を潰すことに集中していた。 自分の胸でも街を潰していたとは気づいていなかった。 すでにテーブルの上の縮小市は壊滅状態にあり、至る所から煙が立ち上っていた。 だがそんな煙は天音にとっては蚊取り線香の煙にも劣る小さなものでありそれを見たところでなんの感情も浮かばなかった。 そして更に天音が次の街に手を伸ばそうとしたところでその所業に耐え切れなくなった神川が叫んだ。 「やめろ! やめてください先輩!」 手のひらの上にポツンとたたずむ神川の声に天音の手が止まった。 「こんな…こんな酷いことを……あの人たちは何も悪くないのに…」 「ダメだよ神川君。私は怒ってるんだよ」 「…へ……?」 見上げた先の天音の顔は笑っていた。 「神川君を酷い目に遭わせようとした人たちの事を」 「で、でもそれは…」 「ううん、私は許さない」 そして天音は、ゆっくりと立ち上がった。 壊滅した縮小市でまだ生き残っている極僅かの人々は、これまでも途方も無く巨大だった天音の姿が更に巨大になってゆくような感覚を覚えていた。 天音の巨大な顔が空の彼方へと消えてゆく。 立ち上がった天音は、白いハイソックスを履いた足でテーブルの上に登った。 長さ24km幅9kmの足が壊滅していた縮小市の上にズシンと踏み下ろされた。 最早人々からは天音の顔を見ることは出来なかった。 それ以前に、天音の存在はこの白いソックスだけに変わってしまったのだ。 白いハイソックスの上の生足はすでに空の彼方へと消えてしまい、彼らが見る事が出来るのはこの白いソックスだけなのだ。 ずうっと上のミニスカートなど、彼らにとっては宇宙の彼方のようなものである。 そして縮小市の上に立った天音は、おもむろに右足を上げた。 人々から見れば、持ち上げられた足も空の彼方へと消えて行ってしまっていた。 「一人残らずお仕置きするからね」 そう言って天音は、持ち上げた右足をテーブルの真ん中に思い切り踏み下ろした。 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!! 叩きつけられた超巨大な足のその衝撃で縮小市は吹き飛んでしまった。 大地が1000mは上下するほどの凄まじい揺れの中で、テーブルの上にあった街はひとつ残らず消し飛んだ。 人々は足が着地した瞬間のその衝撃だけで血煙を噴いて弾け飛んでいた。 大地が轟轟と鳴動する。 天音が1回、思い切り地面を踏みつけただけで、この縮小市に数百万といた住民は全滅してしまった。 残っているは、手のひらの上の神川のみである。 神川にはその衝撃も何もまるで別世界のことのようだった。 あまりにも遠すぎでその事実を感じることができなかった。 ただ天音の動作から、そこで何が起きそれがどうなったかは理解できた。 さきほどまで自分か暮らしていた街と、同じように生活していた数百万の人々が、自分を残して全滅してしまったということだ。 唖然とする神川の見上げた先では、天音が笑顔で自分の足元を見下ろしていた。 「残ってる人はいないかな? これでお仕置きは終わりだね」 そういう天音の仕草があまりにもいつも通りで神川は起きている事実の深刻さにギャップを感じざるを得なかった。 天音はいくつもの本物の街と実在する数百万の人々を皆殺しにしてしまった。 これはいったいどういうことか。これからいったいどうなってしまうのか。 何も考えられなくなりそうな神川がその巨大な顔を見上げていると、それに気づいた天音がにっこりとほほ笑み返してきた。 「これでもう大丈夫だね。あ、でも神川君の住むところがなくなっちゃった。うーん、元の大きさに戻るまではちゃんと私がお世話するから我慢してね」 言うと天音はテーブルを降り、神川をその手に乗せたままどこかへと歩き出した。 たった今、いくつもの街と無数の人々を消し飛ばしたその足を何度も床に踏み下ろしながら。 後日、天音以外の担当していたすべての縮小化政策の試運転が終了したのだが、生き残ったのは神川ひとりであった。 試行していた街の数百万の人々がいったいどこに消えたのか、政府は語らなかったという。 しかし国民が減ったために、当初の予定とは違ったが国土に余裕を持たせるという目的を達することができた政府は縮小化政策を本格的に進めてゆく方針で決定した。 今後は更に広大な範囲が縮小される事だろう。 次に政府に選ばれた少女は、100万分の1倍の縮小市を任された。