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「しゃあねえなぁ。……おう、うん。じゃあ今から向かうわ。んー、30分くらいかな」 電話を切った。やりかけの勉強を放り出して家を出る。まだ溶け切らない雪に足跡を残しながら、彼は街へと繰り出した。 日曜のにぎわう繁華街。彼は人の波に揉まれながら、彼女の家へと向かって歩く。 今日は付き合って6ヶ月の記念日だった。彼は大学受験を控えていたのだが、彼女がどうしても今日は会いたいというので、仕方なく出かけることにした。 そんな当たり前のようにそこにある日常を享受していた彼に、突如として非日常が襲いかかる。 ふっ、人が消えた。 人混みを押し分け大通りを突き進んでいた彼は、突然押し分ける対象を失ってその場に転んでしまった。擦りむいた頬にヒリヒリした痛みを感じながら立ち上がる。 「いってて……一体何が」 周囲を見渡す。広大なアスファルト舗装された路面とその上をゆるくコーティングする雪、自分を取り囲むように立ち並ぶ高層ビル群は変わらずそこにあった。 しかし、人の気配というものが一切感じ取れない。大量の足跡だけがその場に残されている様子は、不気味で仕方がなかった。 遠景を横切っていた列車は、駅どころか踏切さえない中途半端なところでいつの間にか停車しており、目を細めてみても乗員乗客の一人も見出すことができない。 すぐそこのコンビニに足を運んでみれば、カウンターの前に数個の買い物かごが列をなして散乱し、近くでは途中まで打ち込まれたレジが商品名を映し出している。 彼は混乱を通り越して、コンビニ前の大通りにぽつんと立ち尽くす。 自分だけを残し、街の住民たちは姿を消してしまった。 しかし、それは彼の認識下での話だ。 そこはピンク色のカーペット、愛らしいぬいぐるみやさくらんぼ柄のカーテンなどが、女の子のらしさを演出している部屋だった。 部屋の中心に座り込む少女は、この部屋の主。彼女はそのカーペットの敷かれた床の中心に顔を寄せている。 そこには小さなビルが乱立するミニチュア都市が、大地の基盤ごと存在していた。 確かな人の生活痕が残されているそれは、単なるオモチャでも、正真正銘の本物というわけでもない。これは彼女の力によって、縮小コピーされたものだった。 「えーと、さっき家出たって言ってたから……あ、いたいた」 不思議な力によって少女の自室へと縮小コピペされた都市の一角からは、変わらず空が見える。 しかし、それは内側からしか見ることのできないまやかしの空だ。都市の外側には実際に女の子の世界が広がっていて、現に街よりも広大な瞳がのぞき込んでいる。 特殊な結界の力によって、内なる世界からの五感をすべてシャットアウトしているので、外側の様子を内側からうかがい知ることはできない。さながらマジックミラーのようだった。 「ふふ、困ってる困ってる」 だらしなく横になった少女が、頬杖をつく。 好きな人を困らせるのは楽しい。無意識にそんなことを思いながら、慌てふためく青年を観察していた。 ——可愛いなぁ。いっくんから見たら、自分以外の人たちが突然いなくなったように見えたのかな? 本当に突然街からいなくなったのは、いっくんの方なんだけど。 表情に刻んでいた柔らかな笑みをより一層深める。空と見間違うほどの相対的に巨大な青い瞳が、まばたきをした。万が一この動きに巻き込まれたら、頑強なビルたちだってひとたまりもない。 バスも電車も動かなければ、最終手段のタクシーさえ使えない。この状況に、彼はたいそう焦っているようだった。 「遅刻したら許さないから、って釘を刺しておいたのが効いてるのかな」 彼をもてあそぶためだけに自作自演している。彼氏の慌てぶりを観察するというしょうもないことに能力を使用している自覚が、自らの心をくすぐられているようでくすぐったかった。 身震いした少女が立ち上がってミニチュア街から離れる。 「うー、さむ」 冬の寒さにエアコンの温度を調整する。冷えた手にはぁーっと息を吐きかけた。 しばらくして彼女が、いたずらを思いついた子どものように口角をつり上げる。エアコンのリモコンをもとの位置に戻してミニチュア街のそばに戻ると、結界の効力を少し弱めた。 視覚と聴覚をシャットアウトしたまま、ほか全ての影響が通るようになった。 「はぁー……っ」 吹き荒れる風。生暖かいそれは台風並みの突風としてミニチュア都市に襲いかかる。遠景に見えていた電車が傾き、倒れる。 彼女の吐息で雑居ビルの看板が吹き飛んで、さらには路上駐車されていた自動車までもがゴロゴロと転がっていく。気温が上昇した。ところどころで溶けかけの雪が一気に液体になっていく。 当然生身の青年も何もないところで踏ん張っていられるわけがなく、少し飛ばされたあと太い柱に捕まって、吹き飛ばされまいと必死に耐えていた。 突風がやんだ。鼻につく異臭がミニチュアの中をほんのりと漂っている。それが自分の彼女の口腔が放った臭いだなんて、青年が知る由もない。 彼女は耳が熱かった。顔が火照っている。 「あはは、ごめん。ちょっとやりすぎたかな」 指先にぬめりを覚える。いつの間にかパンツの上から陰部をこねくり回し、下着を濡らしていることに気がつく。自分の吐息だけで看板や車が吹っ飛ぶというあまりにおかしいその様子に、少女は興奮しきっていたのだ。 呼吸が荒くなる。そしてまた街に突風が吹き荒れる。 いけない。そろそろやめにしよう。 そう思っていても身体は従ってくれない。理性というブレーキが飛んでしまったようだ。 「あんっ……だって……臭覚はシャットアウトしてないから、このえっちな臭いも、いっくんに嗅がれてるってことだよね……? そんなの、興奮しちゃうよぉ……」 指の動きはとどまるところを知らない。パンツを濡らす速度が加速度的に上昇していった。同時に、漂う女の子の生々しい臭いが、街に充満していく。 ——ああ、もし彼の鼻がおかしくなってしまったら、それは私の責任だ。私のえっちな臭いが、彼の臭覚を破壊してしまうかもしれない。 後ろめたさを覚えながらも、どうしてか余計に愛しくなって腰と指の動きが激しくなる。 淫らな水音と、締まるような悦楽に溺れるあえぎ声を、自分の耳で聞く。それを聞いてさらに心が満たされていく。 脳と膣が直列繋ぎされたように、全身を電撃が駆け抜けた。脚部のすじに力が入ってピンと伸びる一方で、足指は強く折り曲げられる。 「あっ……ダメ! いやぁ…ああ……っ!」 部屋に嬌声が響き渡る。もしミニチュアの中へこの声が通ってしまっていたのなら、あまりの爆音に彼の耳に穴が空いていたはずだ。 ふと見てみれば、潮を吹いてしまっていたみたいだった。少しミニチュアの中に流れ込んでしまったそれは、駐車場に転がっていた自動車を数台飲み込んだ。 「はぁ……はぁ……。うわぁ……とんでもないことしちゃったよぉ……」 荒くした呼吸を繰り返すたび、言葉に表せないものすごい臭いが直接肺に刺さるようだった。自分の鼻にすらこんなにも臭いが届いているのだから、ミニチュアの中にいる彼はそれこそ鼻が曲がりそうになっているに違いない。臭覚もシャットアウトしておくんだったと改めて思う。 観察対象を探す。彼は無事だったようで、元気に街の散策を続けている様子が彼女から見ることができた。 安心がやってくると、もとから性的快楽に重くなっていたまぶたにさらに重みを感じた。その重みに逆らうのをやめると、瞳がゆっくりと閉じていく。 彼女はばたりとその場に倒れ込んで、朦朧とする意識の中、能力の使用を中止した。 このあと元の街の中に転送された青年は、女の子のえっちな臭いを猛烈に放っていたという。 |